兼好法師と言えばすぐ「徒然草」が頭に浮かび、事実現代語訳は色々な人が出版して
いて、読むに苦労はない。文学的価値と言うならほとんど知られていない歌集などよ
り高いから当然なのだろうが、当の兼好にしてみれば暇つぶし(つれづれ)であり、歌
で世に名を残すつもりだったとすれば予想だにしていなかったことだろう。当時二条
派の歌人だった兼好は四天王の一人として活躍していた。因みに定家の家系は孫の代
に二条・京極・冷泉の三派に分裂し、兼好は嫡流の二条家に師事した。定家の子孫だ
から当然勅撰集(天皇の勅命による歌集)の撰者になる可能性があるわけで、兼好の歌が
入集する確率は高くなる。しかも俗名(兼好)を法名とすれば名が残るわけで、(兼好の侍
としての身分では詠み人知らずとなるらしい)出家はそんな理由もあったろうと私は思
う。僧に価値がないとは徒然草の第一段にも書いてある。
二条派は保守的だったので、後世には評価が低くなるのは当然だろうが、当時の兼好に
してみれば、嫡流の魅力はあったろうと思う。
もはや古本でしか買うことが出来ない。1937年初版とあり、戦前の出版という事になる。
原本は江戸時代初期に自筆草稿本が発見され、それをもとに岩波文庫で出版された。
残念ながら、訳は付いていない。人名・地名等の簡単な注釈のみ。歌数は300首弱なのです
ぐ読み終わる。
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