唐木順三氏の「無常」を読みたくて、ヤフーオークションやアマゾン
を探したが見つからず、楽天の古本にもなかったが、楽天Koboに電子
書籍で発見。不安はあったが購読ソフトをダウンロードして、簡単に
読むことができた。コンピュータの大画面ではやはり読みやすい。
内容は「はかなし」「無常」「無常の形而上学」の三部から成ってい
る。「はかなし」は王朝文学時代の、特に女流作品から。この時代の
言葉では「あわれ」も有名だが、こちらは本居宣長の解釈がつとに有
名で、しかも「無常」には繋がらないとして省いたようだ。
またこの時代の仏教は鎮護国家を祈る宗教で、個人とは縁が遠かった。
第二部の「無常」では武士の台頭、仏教の庶民化という中での「無常」
の変化と受容(特に兼好や芭蕉)について述べられている。
第三部の「無常の形而上学」は道元の無常理解の解説だが、道元の正法
弦蔵は非常に難解で抽象的なので、理系人間の私にはちょっと縁遠い。
「無常」というのは仏教用語で、ブッダが言ったかどうかは分からない
が、言葉通りに解釈すると「常なるものは無い」ということであり、科
学的にも正しい。太陽もいつかは燃え尽きるし、ビッグバンで生じた宇
宙も加速度的に膨張していることが観測されている。いずれはビッグチ
ルで終わるという仮説がある。
80~90年で終わる人生だが、兼好は和歌に、芭蕉は俳諧に人生を賭けた
わけだ。その背景に「無常」の肯定的理解があるという。
河津桜はまもなく咲きそうだ。
ヤマガラ君は相変わらずだ。
ジョウビタキも気になっているようだが、近づく勇気がない。