今、最もアツい場所。それは金沢。遠くに見える山は飛騨なのか?
ブッブー!
ここは秋田県山本郡藤里町藤琴金沢。ちなみに、「かなざわ」じゃなくて「かねざわ」と読みます(笑)
北陸新幹線で賑わっているであろう金沢市の近くには不動「寺」PAがありますが、
ここ金沢地区には不動「社」があります。偶然の不動つながり!
藤里町のあゆみより抜粋し、金沢小学校の歴史を振り返ってみましょう。
明治10年(1877年)、藤里学校金沢分校が設立されました。生徒数27名だったそうです。
写真は2013.8.21撮影。『勝手にあるもの探し』の際に立ち寄ったものです。庚申塔の元号から時代背景を探りたいと思っていたのですが、ここでは見つけられなかったのです。
明治45年(1912年)金沢分校が真名子に移されました。
昭和22年(1947年)藤琴中学校ができ、金沢に分校ができました。
昭和32年(1957年)金沢分校校舎は全焼。被害は住家4棟、非住家1棟に及んだそうです。
昭和34年(1959年)金沢分校は独立し、金沢小学校になりました。
藤琴中学校金沢分校も独立し、金沢中学校となりました。
金沢地区に集団赤痢発生。
昭和38年(1963年)藤里村が藤里町になりました(町制施行)。
坊中小学校跡地に残る記念碑
昭和45年(1970年)金沢中学校が廃校。
昭和58年(1983年)金沢小学校は閉校となり、坊中小学校の学区内となるも
平成12年(2000年)坊中小学校は閉校。平成20年には米田小学校も132年の歴史に幕を下ろし、藤里小学校に統合。
金沢地区へ向かう十六貫トンネルを過ぎた右手には、無数の氷柱を目にすることができますので、周りも要チェックです!
アツいどころか、いまだに雪に覆われている藤里町金沢地区の様子でした。