![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/46/45eb698e8f0758d1e81f6f8200f65aef.jpg)
拝殿の真裏側に行くと、更に神社のアパートみたいなものが!案内図では「末社」と書いてあるので、子どものようなものなのでしょうか。勿論、一つ一つにお名前があり、お賽銭箱も置いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/43/7b2b61b1d21379e2ce2cfe3fe8a5e5af_s.jpg)
そのお隣には石造りの鳥居のトンネル「石堂宮」が。鳥居には「弘化四歳丁未」と彫ってあるので1847年に建てられたようです。ショパンの時代だわ。すごい歴史。で、奥のほうには平たい大きな石と博多人形かなというものが。これは新しそうに見えますが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/b5/ce649e6986cc9cd44dd6d787dfbfe1ee_s.jpg)
鳥居を出たら、寒い中、梅が咲いていました。
その先には「みこし舎」があり、ガラス越しでしたが、立派なお神輿が見られました。ここで、ようやく少し分かったのは「櫛田神社」には三人の神様が祭られていること。左から大神宮(アマテラス天照皇大神)、櫛田宮(オオハタヌシ大幡主大神)、祇園宮(スサノオ素戔嗚大神)の皆様。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/10/baa4e356ccc2b6a92ec733645d1c4400_s.jpg)
神社の縁起によれば、天照皇大神の祭祀はあまりにも古すぎて記録が無いようですが、孝謙天皇のご託宣により天平宝字元年(757年)に大幡主大神を鎮祭されたとのこと。1250年も前のお話、更に深い歴史に圧倒されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/82/bdbdc76acfd5b9eec6e05da63833d0ad_s.jpg)
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そのお隣には石造りの鳥居のトンネル「石堂宮」が。鳥居には「弘化四歳丁未」と彫ってあるので1847年に建てられたようです。ショパンの時代だわ。すごい歴史。で、奥のほうには平たい大きな石と博多人形かなというものが。これは新しそうに見えますが。
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鳥居を出たら、寒い中、梅が咲いていました。
その先には「みこし舎」があり、ガラス越しでしたが、立派なお神輿が見られました。ここで、ようやく少し分かったのは「櫛田神社」には三人の神様が祭られていること。左から大神宮(アマテラス天照皇大神)、櫛田宮(オオハタヌシ大幡主大神)、祇園宮(スサノオ素戔嗚大神)の皆様。
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神社の縁起によれば、天照皇大神の祭祀はあまりにも古すぎて記録が無いようですが、孝謙天皇のご託宣により天平宝字元年(757年)に大幡主大神を鎮祭されたとのこと。1250年も前のお話、更に深い歴史に圧倒されます。
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