先日、非常に興味深い番組でとても考えさせられた。
その日は他に楽しいバラエティがたくさんあったのですが、なぜかその番組が気になって、何気なく見始めました。
30年前の「警察庁長官狙撃事件」
あの年は本当に強烈な出来事が多くて、世間がザワザワしていた。
その中の一つ。忘れられません。
あの当時、一連の出来事から、ほぼ全国民が「あの団体」だと思っていたけど…(多分私もそう思っていたと思う)
どうやらそうではないらしい、というのが今の大方の見解だそうで。
どうやらそうではないらしい、というのが今の大方の見解だそうで。
別の事件で逮捕された犯人が、狙撃事件を自供していた、という。これって話題になったのでしょうか?単に興味がなかった?
いやーあまり話題にされなかったはず。
で、自白もして、裏もほぼ取れてたのに、警察上層部が「あの団体」犯人説を信じて疑わず、結果、当時まだ存在した時効を迎える。。という結末。
また、その容疑者が狙撃の理由も「あの団体」が首謀者となるよう仕向けたかった、という趣旨のことを話してたそうですが、昨年亡くなったとか。
その事件の一連の流れ、取材ドキュメントと再現ドラマが非常に見応えのあるものでした。
濃い内容の映画を見た後の気持ち。いや、こんなのフィクションで描けるような発想ではない。
いや~ちょっと衝撃的でした。スタジオで見ていた出演者も恐らく同じような気持ちだったと思います。
濃い内容の映画を見た後の気持ち。いや、こんなのフィクションで描けるような発想ではない。
いや~ちょっと衝撃的でした。スタジオで見ていた出演者も恐らく同じような気持ちだったと思います。
一テレビ局の一記者の執念のような取材の結論、のようなので、これが事実、と安易に書いてはいけないとは思うけれど。。
「こうに違いない」という、決めつけが頭を固くして周りが見えない状況に陥るのかな?と。
誤認逮捕とか、無実の罪とか、ドラマでも昔からよくある話ですが、実際でもあることなのかな。
こういう時、一人でも冷静な判断、もしくは天邪鬼気質の人がいると違うのかも。
こういう時、一人でも冷静な判断、もしくは天邪鬼気質の人がいると違うのかも。
でも、ふと思うと、今の世の中に通じるなぁって。
それも、無名の誰かわからない人が投じた一石で、世間の風潮が同じようなベクトルに(暴走気味に)向いていく。
そんなふうに考えたら、事件そのもの以上にすごく怖くなった。
ちょっとした見解の相違で、誰でも疑われる、偏見に晒されるかもしれない。
まさに、今CMで流れてる「決めつけ刑事」って感じ。
ちょっとした見解の相違で、誰でも疑われる、偏見に晒されるかもしれない。
まさに、今CMで流れてる「決めつけ刑事」って感じ。
教科書で学んだ歴史上の出来事もそうだけど、後世に研究が進むと実際は異なっていた、ということが多々あるけれど、最初の印象やフィクションにされたイメージが強烈だと、そこから変えられないこともありますよね。
時効を迎え、容疑者もいない今となっては真実は藪の中・・・かもしれないけど、記者の方はまだ取材を続けられるような印象でした。
なかなか衝撃的な話。「事実は小説より奇なり」だし、関係者の多くが存命なので難しい題材しれないけど、映画かドラマかで見てみたい、そんな気もしました。
なかなか衝撃的な話。「事実は小説より奇なり」だし、関係者の多くが存命なので難しい題材しれないけど、映画かドラマかで見てみたい、そんな気もしました。