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* 大江山の怪(058)
サタディ・ストローラー。
土曜オンリー・漂泊者とでも訳せばよいのであろうか?
平凡な会社員の私の趣味の一つに、バイク・ツーリングがある。週休2日制の恩恵をたっぷりと受けて、土曜日に1日だけ、バイクで漂泊するのが習慣となってしまった。
愛妻のあゆかからは、
「40も過ぎて、いい歳こいたごきぶりオッさんが、バイクなどに乗り回して」と少しばかり、つり上がった目尻で応対されるのだが、一向に気にはしない。
つづく
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私にとって、バイク跨がりは行のようなものである。バイクに乗れば、一瞬たりとも気が抜けない。ましてや、怪我などはしていられない。バイクにまたがりかねている短い脚の脛齧りをする子供が3人もいるのである。けれども、誰かさんのように蹴り飛ばしたりするような勇気は持ち合わせてはいない。
そういうプレッシャーを自分に課してバイク乗りをすると、心は、ぱりぱりに張り詰める。それでも、乗り始めて、交通事故の多発するという魔の時間帯の1時間もすぎれば、私自身がバイクに同化してしまう。私自身がバイクに変身してしまうと言えば、より近いのであろう。そうなれば、自然を満喫できるようになる。これがたまらないのだ。心の中が洗われて、真っ白になったような気分になれるし、一週間分のドス黒い火山灰を被ったような心を風に晒して浄めてやることもできる。
その日も、例にもれず、あゆかの眼前でストローラーに変身してやった。あゆかの苦笑を背中で感じる。黒い革ジャン、黒ズボン、黒ヘルメットで身を固めれば、拡大ごきぶりそのものとなる。
つづく
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朝、あゆかの見送りを受けて、家を出れば、風の呼ぶまま、気のむくまま、どこにでも出かけてゆく。それでも、一応は自己規制しているのだ。片道移動距離は、350km以内、必ずその日の内に帰る。絶対事故は起こさない。そういう大原則の下に、行動する。
しかし、しかしである。
どこで振り返ってみても、青い青い一本の糸が、私の背中あたりからあゆかの手へと、延びているのが見えてしまう。そして、また、それは、わが家の玄関口前の道路へつながっているのである。どんなに遠く離れようとも、どんなにくねり逃げようとも、玄関までは一本の線で結ばれている。
その日、家を出て、しばらく走っていると、丹後半島が呼んでいるような気がした。丹後半島までは、300km足らず。時速80kmで走って、4時間とは掛からない。8時すぎに、奈良県S市の自宅を出たので昼前には到着できるように思った。
つづく
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丹後半島は、初めてだったので、あちらこちらで寄り道をした。久美浜湾、琴引浜の鳴き砂、経ケ岬、伊根町、天の橋立と景観のオンパレードだったので、思わぬ時間が掛かってしまった。時計回りに一周を終えた頃には、夏の終わりといえ、あたりは薄暗かった。
腕時計は、持たない主義なので、時間は分からない。時計をしていると、己の時間感覚が鈍るような気がするので、時計には頼らない。おそらく、7時は軽くすぎていたであろう。
国道176号線から福知山に入る予定であった。夜風が、少し膚寒い。大江山のあたりにさしかかった時には、車の通りは、ほとんど途絶えていた。霧がうっすらとかかり、背中がぞくぞくとする。正面だけ見据えて、道路の中央の白線を追った。私は、鳥目気味で、近眼でもあるから、夜道は特に注意して走ることにしている。
その時である。
つづく
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2m近くはあると思われる大男が、道路の前方に突然現われたのだ。彼は、両手を上げて、私を制止した。私は、急ブレーキを掛けた。少しスリップして、転倒しそうだった。心臓がどきどきと波打つ。
ヘッドライトに浮かびあがった男の顔を見なおしてみて、落ち着きかけた心臓が、またもやガクッガクッとなり、背筋には氷水が雪崩落ちた。ヒゲもじゃらの顔に、ほおづきのような目がランランと光っており、全身は黒い毛におおわれていた。が、赤いパンツの1ポイント・マークを目にした時、少しだけ安心感を覚えた。
「おい、オッさん、ちょっと付き合えや」
つづく
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私の愛称を知っていると思ったので、安心が倍加した。私は、オッさんと呼ばれるとホッとするタイプであることも手伝っているのだろう。
「何か、用でも」
「そうだ。用事があるから、呼び止めたのだ。サヤカ殿から降りて、ついてこいや」
わっ、サヤカの名前まで知っている。こいつは、いったい何物なのだ。
サヤカとは、私の愛バイクの名前である。不可思議な能力を持つバイクのサヤカには、いろいろな友がいる。こいつもサヤカの友達なのだろうか。いや、友達であれば、サヤカが教えてくれているはずである。サヤカは、私を驚かせるような質の悪い悪戯はしない主義の人だ。
つづく
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「あの、もう遅いので、早く家に帰りたいのですが・・・」
「ふらふら、ふらつきおって、あと1~2時間ぐらい、どうってことあるまい。つきあいの悪い奴よのう」
私は、彼にエリすじを捕まれて、引きずり降ろされてしまった。扱いは乱暴だったが、丁重な感じも受けた。私は、仕方がないので、サヤカを脇道に寄せ、とぼとぼと彼についていった。霧がかかった露道は、長く感じられたが、そう長い時間歩いたわけではない。しばらく行くと、ほこらがあり、黒鬼はその中に私を招いた。
「濁酒を飲む時は酔い泣きするに限る。でもな、オッさんよ。一人でボヤいてもつまらんのよ。まあ、一杯いけや」
「私は、運転がありますので」
「一杯ぐらいいいだろ。これ、そう強くはないぞ」
「私は、それに下戸でもありまして」
「ナンダ、猿か」
つづく
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あんたに、猿呼ばわりされる筋合いはない。飲めないものは飲めないんだ。それに、どちらが猿なんだ。酒飲んで、顔赤らめて、泣いていれば、猿顔そっくりではないか!
それにしても、奴は万葉集のファンかいなあ。
「じゃ、ひと口でも飲め」
それほどまでに勧められたので、一口だけ含んでみた。カライッ。何がうまいんだ、こんなものと思ったが、
「ふん、いいお味ですねえ」
もう、恐くはなかったが、お世辞を言った。お世辞も人づきあいの潤滑油となるのなら言わねばなるまい。こんなもの、いくらでも吐き出してやる。それが会社員の生活の知恵と言うものだ。ふと、奴のすすり泣く声が聞こえ始めた。
「オッさんよう、まあ聞いてくれ。何が悲しいと言っても、誤解されるほど苦しいものはない。ワシはな、黒鬼のブラック・ゼンゴという大江山に住むモンじゃが、人間社会からは、つまはじきばかりされとるんじゃ。こう見えても、ワシは、根っからの悪人ではないぞ。悪いのは、白鬼の奴なんじゃ」
つづく
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私は、彼に少しばかり興味を抱いた。
「白鬼って?」
「よくぞ、聞いてくれた。白鬼というのはな、あんたら普通の人間の心の中に住みついている鬼なんじゃ。これが、また悪い奴でな。己の存在をぜんぜん普通の人間には感じさせないのよ。そのためにな、奴のためにな、オレはいつも大悪人に仕立てあげられるのよ。
もともとは、黒鬼と白鬼とは、対の原理で作られたものにすぎないんだ。正義とか不正義とかは、永遠のものではない。時代が選択するようになっとる。それをワシばかり悪人扱いしやがって」
「えっ、それ本当ですか? では、私にも?」
「どれどれ。うーん。見当らないなあ。おそらく、サヤカ殿の魔力が効いているのだろう。何しろ白鬼の見当らない者など皆無じゃからのう」
そうか。バイクに乗れば、さわやかな気分になれるのは、サヤカが力を貸してくれていたのかと一人納得した。それと、彼に呼び止められた理由も何となく分かったような気がした。
つづく
あ@仮想はてな物語 大江山の怪 10/16
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「その白鬼に気づいた人間は、この日の本の国には、ショートク太子と芥川の龍先生しかおらんのよ。というてもな、ワシ、交際範囲が狭いので、人の名などあまり知らんのじゃが・・・」
「なぜ、その二人が・・・」
「お前、世間は虚仮という言葉しっとるか?」
「いえ。でも、このごろは、どんな山道の道路も良くなっていますよ」
私は、道が悪くて、つまづいてこけるのかと思ったのだ。
「ちっ、何にも分かっちゃねえ。あのなあ、これ太子はんの言ったことなの。世の中をはかなんでな、言ったらしいよ。世の中と言っても、馬の黒駒や斑鳩の因可(よか)の池の片目蛙がどうかしたということではない。
世の中の実体は人間、人の集まりだろ。その人々に白鬼が取りついているのよ。虚仮と感じさせるのは、白鬼の仕業なのよ。龍先生もなエゴイズムを抑えて生きろと訴えていただろ。エゴというのも、ヤツのなせるワザなのよ」
「そうなの? 初めて聞いた」
つづく
あ@仮想はてな物語 大江山の怪 11/16
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「こりゃ、オッさん、バイクばかりに乗っとらないで、本の一冊も読めよ。人生の指針は書物にあり、と言うではないか。ガソリン浪費して、空気汚しやがって!
聞くところによると、単行本が5万冊も売れないというじゃないか。そのくせ、100万は軽く越える車の人気車種は、年に何十万台も売れとるというのに。どうなっとんじゃ、え、おまはんらの世界!」
「えっ、そんなに売れなくて、そんなに売れているんですか?」
つづく
あ@仮想はてな物語 大江山の怪 12/16
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バイクに乗ることは、はぐらかしてやった。確かに、彼の言うことはごもっともだ。しかし、私一人がどうかしたところで、環境が良くなるわけでもない。一人ひとりが、そう思っているのだから、余計に質が悪い。何しろ、みんなの小さな寄せ集めが、巨大な怪獣を作り出しているのだから・・・
一人で、そんなことを突き詰めて考え、実践していると、常世の国にでも移住しなければならなくなるだろう。
「そうらしいぞ。嘆かわしいことよのう」
また、泣いている。オニのくせに、人の世界の心配までするな。こいつ、何でもダシにして、泣く口実を作っているんだろうなあ。
「白鬼って、どんな悪いことするんですか?」
つづく
あ@仮想はてな物語 大江山の怪 13/16
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話題をまた白鬼に戻して、気分を変えてやった。ブラック・ゼンゴは、あぐらをかいたような鼻をすすり上げながら、
「己が宿っている者を、すべて正しいと思いこませる。ものごとは、己には及ばないと思わせる。これは、自分だけは例外扱いすることじゃ。また、自分さえよければ、他はどうなってもいいと思う・・・ 数えあげたら、キリがない」
「ええっ、それ全部白鬼の所為だったの」
「そうさ、奴のせいさ。激しい恋愛をしたりな、子供が生まれて小さい間とかな、己を忘れている者には、負ける時もあるそうだか、それ以外は絶対的な力を持っているのだ。それをまた人間に感じさせないものだから、始末におえんのよ。どうしようもない。ワシは無力じゃ」
ワォーォン。濁酒をあおりながら、一層大きく泣きじゃくった。
つづく
あ@仮想はてな物語 大江山の怪 14/16
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見れたものではない。その上、こいつの言っていること、どこまで信じられるのか、分かったものではない。
「私には、あまり信じられませんが・・・」
「そう! それが、奴の手なんじゃ。白鬼ほど残酷な奴はおらんぞ」
「でも、お言葉を返すようですが、普通の人間が、そんな悪い鬼の言う通りになっていたら、人間の社会など、1週間もすれば滅びてしまうと思うのですけれど・・・」
「オッさんも、頭悪いなあ」
ほっといて! 余計なこと言われんでも、自覚してます!
「白鬼の奴は、宿るものが無くては生きてゆけんのよ。だから、生き方が巧みなのよ。ぎりぎりの限界線をよく心得ているのじゃ。誰でもいい、普通の人間に独裁権力与えてみろいっぺんに正体現すわ。他人の制約が無くなれば、白鬼のヤツ、何をしでかすか分からんぞ!
つづく
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そんなもんだからワシら黒鬼ばかりに辛くあたりよる。鶏が血の出た仲間を寄ってたかって苛めているのを見たことあるじゃろが!
あれと同じことをしているんじゃ。それで、ストレス解消しながら、白鬼同士は、適当にやってるのよ」
「あの、ところで、バイク乗りの件、提案があるのですが・・・」
「何じゃ、言ってみろ」
「あなたに、バイク替りしていただければ、空気も汚れないと思うのですが。ガソリン代は、お払いしますが」
「オッさん、バカも休み休み言え。何でワシが、お前の足にならんといかん。奈良くんだりに、休みごとに行けるか。これでも、忙しいんじゃ。まあ、半年に1回ぐらいなら、付き合ってやってもいいが。その時は、大神神社にお供えするような澄まし酒、たっぷりと飲ませてくれよな」
つづく
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<ドン作雑文集より>
せっかく思いついた環境に優しい交通手段を発見したのに、体よく断られてしまった。この分では、当分、さやかの厄介にならなくてはなるまい。
それから、小1時間ばかり、黒鬼に付きあわされてしまった。彼と別れてから家に帰りつくまで、ずっと彼の言った言葉を反芻していた。
{そうだったのか。そんなわけだったのか}
しかし、ブラック・ゼンゴに指摘されてみて、同意は出来ても、白鬼の存在は自覚出来なかった。
もし、彼の言うことが本当で、白鬼が人間の心の中に巣食っているとするのなら、他の人が鬼に見えるような者こそ、正真正銘のオニ化人間ではないのか! とも思った。
おわり
注・
左記の作品から、少しずつ引用させてもらっております。
松原新一著「さすらいびとの思想」(EIN BOOKS)
渡瀬信之訳「マヌ法典」(中央公論社)
森山隆・鶴久編「萬葉集」(桜楓社)
井上光貞監訳「日本書紀・上」(中央公論社)
「古事記・上代歌謡」(小学館)
現代日本文学アルバム7「芥川龍之介」(学習研究社)
梶原一明・徳大寺有恒著「自動車産業亡国論」(光文社)
銭谷武平著「役行者ものがたり」(人文書院)
矢野建彦「聖地への旅[大峰山]」(佼成出版社)
田村圓澄著「聖徳太子」(中央公論社)
梅原猛著「隠された十字架」(集英社)
岡本精一著「南無仏」(大和仏教文化センター)
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