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絵じゃないかぐるーぷ
* 谷汲山 華厳寺 33
この項で、いよいよこのお話も終りであります。
カンノン・サークルにも、様々のカンノンはんがいて、
個性豊かな人ばかりです。
さて、谷汲のファファのお話に移るといたしましょう。
1,200年も前のことになります。
奥州にダイリョという役人がいました。
彼は、カンノンはんの像を自分の在所にも、
是非おまつりしたいものだと、思っていました。
そこで、毎日、文殊堂に、お願いしていたそうです。
その願いが、通じたのでしょう。
夢の中で、モンジュジュはんから、
ちょうど、手頃の榎の大木があることを、教えられました。
ダイリョは、その大木を京に持ってゆき、
ファファを刻んで貰うことにしました。
その頃は、道も良く整備されてませんでしたので、
とても苦労しました。
牛に引かせて行ったようですが、
なかなか、思うように進まなかったということです。
京で仏工に彫刻してもらったのですが、
帰りは、来るとき以上に大変だったようです。
大木が、カンノンはんの形に変わっているものですから、
来る時のように、雑に扱うことは出来ません。
一歩一歩、丁寧に歩かせますので、
時間もかかりました。
美濃の谷汲山あたりまで、帰りました時に、
牛が、とうとう根をあげてしまいました。
ダイリョは、彫刻代と往復の旅費と、
でぎりぎりでしたので、
牛など買う、余分な金は持ってません。
そこで、谷汲山にファファを、
住まわせることにしたそうです。
たまたま、山で修業中のブネンという、
上人がいたので、
ダイリョは、二人で力を合わせ、
お堂を建てたとのことです。
そのため、ファファは、谷汲村に、今も住んでおります。
仮想西国33ヵ所を廻り終えますと、
満願の印に、このお寺の本堂入口にある、
両側の太い柱に打ちつけられた、
青銅製の「精進落としの鯉」にふれて、
また、俗世間に戻る、習わしがあるようです。
鯉は、皆に撫でられて、ピカピカになっております。
鯉は、また来い来いとでも、言いたいのでしょうか。
最後に、このお寺には、
過去・現在・未来を意味する、
3つのご詠歌がありますので、
紹介して、筆を置くことにします。
いままでは おやとたのみし おいずるを
ぬぎておさむる みののたにぐみ
よろずよの ねがいをここに おさめおく
みずはこけより いずるたにぐみ
よをてらす ほとけのしるし ありければ
まだともしびも きえぬなりけり
Praying hands
おわり
33/33(ありがとうございました)