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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
さて、お話は変わりますが、紀伊の国のあるお寺には、
1,000年も前から補陀洛参りという習わしあったそうに
ございます。
志を立てた僧が、小舟に乗ってインドのぽたらか山を目指して
旅立つのです。西国33ヵ所のお寺には、インドの僧もこの国に
来たという逸話もいくつか残っております。
またインドは仏教の故郷でもあり、補陀洛浄土などと聞きますと、
いつかは行ってみたいと思っていたのでございましょう。
しかし、太平洋に小舟を出しても、インドまで行き着くことなどは
出来ますまい。ほとんどの者が海の彼方で、あの世に旅立った
のでありましょう。言うなれば、これは自殺の一種でもあったので
しょうか。もう少し穿った見方をすれば、邪魔者払いだったのでは
ないのでしょうか。
今で言う老害の除去、会社で言うならば、役員定年の内規に
あたるのでしょうね。昔から、坊さまは、長生きする人が多いよう
であります。
百姓のように、田や畑の土の中で、這いずり廻って暮らす
必要などはないし、お経を唱えて寺や墓の掃除をしていれば
いいものですから、健康的と言えば、これほど健康的な生活は
ないのでしょうね。
食物を育て、作るようなことは、趣味の世界のようなもの、
神経を磨り減らすような接し方はしておりません。
五戒の一角を占めます飲酒も、般若湯などと呼べば、
簡単に寺内に持ち込むことも出来ました。
般若湯とは、智恵の水という意味で、ほどほどにいただけば、
百薬の長になるというお酒のことであります。
そんなわけで、概してお坊さんは長生きするようでございます。
住職が長生きすれば、ピラミッド形式の組織では、
硬直化現象が起こります。
隠居という手立てもあるのでしょうが、
隠居に手出し口出しされては、
新住職は腕を振るうわけにもまいりません。
頭の上の五月蝿のような存在であったのでしょう。
蝿ならば、追い払う事も出来ましょうが、
人間を、そう露骨に扱うことは出来ません。
組織の見えざる意志とでも呼ぶべきでございましょうか。
旧の住職から一切の過去を抜き去る必要があったのです。
簡単に言えば、旧住職が、この世から消え去れば事は済みます。
といって露骨に殺すわけにもいきません。
殺しは、これもご法度の一つでございます。
旧住職に、生きながら仏になる道を求めるような心構えが
ございましたら、もっとすっきりとしたのでしょうが、
そういう苦しい道を避けて通るのが、
並みの僧侶の道でありました。
ここに老害の除去と、補陀洛浄土への
お参りが、結合したのでございます。
つづく
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
さて、お話は変わりますが、紀伊の国のあるお寺には、
1,000年も前から補陀洛参りという習わしあったそうに
ございます。
志を立てた僧が、小舟に乗ってインドのぽたらか山を目指して
旅立つのです。西国33ヵ所のお寺には、インドの僧もこの国に
来たという逸話もいくつか残っております。
またインドは仏教の故郷でもあり、補陀洛浄土などと聞きますと、
いつかは行ってみたいと思っていたのでございましょう。
しかし、太平洋に小舟を出しても、インドまで行き着くことなどは
出来ますまい。ほとんどの者が海の彼方で、あの世に旅立った
のでありましょう。言うなれば、これは自殺の一種でもあったので
しょうか。もう少し穿った見方をすれば、邪魔者払いだったのでは
ないのでしょうか。
今で言う老害の除去、会社で言うならば、役員定年の内規に
あたるのでしょうね。昔から、坊さまは、長生きする人が多いよう
であります。
百姓のように、田や畑の土の中で、這いずり廻って暮らす
必要などはないし、お経を唱えて寺や墓の掃除をしていれば
いいものですから、健康的と言えば、これほど健康的な生活は
ないのでしょうね。
食物を育て、作るようなことは、趣味の世界のようなもの、
神経を磨り減らすような接し方はしておりません。
五戒の一角を占めます飲酒も、般若湯などと呼べば、
簡単に寺内に持ち込むことも出来ました。
般若湯とは、智恵の水という意味で、ほどほどにいただけば、
百薬の長になるというお酒のことであります。
そんなわけで、概してお坊さんは長生きするようでございます。
住職が長生きすれば、ピラミッド形式の組織では、
硬直化現象が起こります。
隠居という手立てもあるのでしょうが、
隠居に手出し口出しされては、
新住職は腕を振るうわけにもまいりません。
頭の上の五月蝿のような存在であったのでしょう。
蝿ならば、追い払う事も出来ましょうが、
人間を、そう露骨に扱うことは出来ません。
組織の見えざる意志とでも呼ぶべきでございましょうか。
旧の住職から一切の過去を抜き去る必要があったのです。
簡単に言えば、旧住職が、この世から消え去れば事は済みます。
といって露骨に殺すわけにもいきません。
殺しは、これもご法度の一つでございます。
旧住職に、生きながら仏になる道を求めるような心構えが
ございましたら、もっとすっきりとしたのでしょうが、
そういう苦しい道を避けて通るのが、
並みの僧侶の道でありました。
ここに老害の除去と、補陀洛浄土への
お参りが、結合したのでございます。
つづく