2011年11月17日(木)
ピエール=ロラン・エマールのリサイタルのチケット購入者を対象にした、来春公開予定の映画「ピアノマニア」の試写会がトッパンホールで行われた。試写会の後はエマール本人が登場してのトークタイム付きというイベント。
世界有数のコンサートホールであるウィーンのコンツェルトハウスのピアノでも、エマールが満足しないとなると、ハンブルクのスタインウェイ本社まで行って、ピアノを探し求める姿や、「クラヴィコードのような感触が欲しい」と言えば、ホーフブルクの楽器博物館まで出向き、その音やメカニズムを徹底的に研究する飽くなき探究心に驚かされた。
ウィーンの風景のカットや、ピアノのメカニズムをクローズアップした映像、出演者の表情などがとても印象的で、活き活きとした場面転換も効果的。妥協することなく欲しい音にこだわるエマールと、求められた音を提供するために全力を尽くすシュテファンの姿にどんどん引き込まれ、あっという間の97分だった。
「このピアニストは音が柔らかくて繊細」だとか、「この人のピアノの音はクリアで伸びがある」などと言うとき、そこに調律師の存在なんてまず考えないだろう。出てきた音は、そのピアニストの音として認識される。時には、「ヤマハのピアノ、いい音するじゃん」など、ピアノ自体が注目されることはあっても、出てくる音が調律師の音として認識されることはない。でもその裏には、調律師がなくてはならない裏方として存在していることを思い知らされた。
自分の楽器を持ち歩けないのがピアニストの弱み、ということをよく聞く。しかし、超一流のピアニストに限れば、演奏する曲によって、場所によって、それに最も相応しい楽器が相応しい状態で用意される。これは、他の楽器のプレイヤーには得られない特典とも言えよう。その意味でピアニストは、その評価のある大きな部分を調律師に負っていると言っても良いとさえ思った。
トークタイムでエマールが、「この映画は、バッハの『フーガの技法』という、様々な楽器の音が求められる特殊な作品のレコーディングの場面だったため、ここまで音にこだわった」と、普段はここまで苦労してひとつに音を求めているわけではない、と言っていたが、必要とあれば、自分が求める音を提供してくれる有能な協力者を持つエマールは幸せなピアニストだ。
このトークで、エマールは、「ピアノは200年以上に渡り改良が重ねられ、素晴らしい発展を遂げたが、今、ピアノ制作者には、ピアノ発展の過渡期にあったような、クリエイティヴな情熱が失われている」と言っていた。現代のピアノが更に進化することを求めているようなこの発言を聞いて、どうしても訊きたかったことがある。
昨今、ピアノフォルテなどの良さが再認識され、古楽器を用いることがブームのようになっている。エマールも映画の中でクラヴィコードへの関心を示していた。古楽器畑の人達は現代のピアノのことを、「大きな音量を得るために、他の全てを犠牲にしたマシン」といったネガティヴな言い方をすることが多い。けれど敢えて訊きたかったのは、エマールの古楽器への関心や思いではなく、現代のピアノへの思いだ。多くのピアニストが古楽器に「浮気」するのも結構だが、この映画をきっかけに、現代の楽器の良さもまた改めて見直されればな、と思った。
「ピアノマニア」オフィシャルサイト
ピエール=ロラン・エマールのリサイタルのチケット購入者を対象にした、来春公開予定の映画「ピアノマニア」の試写会がトッパンホールで行われた。試写会の後はエマール本人が登場してのトークタイム付きというイベント。
映画は、主人公であるピアノ調律師のシュテファン・クニュッパーと、もう一人の主役ともいえるピアニスト、エマールとのやり取りを中心に、演奏会の舞台裏の真剣勝負の世界を、調律師の視点からリアルに伝えたドキュメンタリー。 調律師の仕事を、狂ったピアノの音程を直す作業だけだと思っている人は多いと思うが、実際には、精密機械とも言えるピアノの、微妙なタッチの感触の加減まで調整する「整調」、それに、音程だけではなく、音色も整え、ピアニストが欲しい音を作る「整音」という作業がある。 シュテファンは、プロとしての高度な調律の技術、プライド、情熱、時間を総動員して、エマールの求める「音」のために孤軍奮闘、東奔西走する。 |
世界有数のコンサートホールであるウィーンのコンツェルトハウスのピアノでも、エマールが満足しないとなると、ハンブルクのスタインウェイ本社まで行って、ピアノを探し求める姿や、「クラヴィコードのような感触が欲しい」と言えば、ホーフブルクの楽器博物館まで出向き、その音やメカニズムを徹底的に研究する飽くなき探究心に驚かされた。
ウィーンの風景のカットや、ピアノのメカニズムをクローズアップした映像、出演者の表情などがとても印象的で、活き活きとした場面転換も効果的。妥協することなく欲しい音にこだわるエマールと、求められた音を提供するために全力を尽くすシュテファンの姿にどんどん引き込まれ、あっという間の97分だった。
「このピアニストは音が柔らかくて繊細」だとか、「この人のピアノの音はクリアで伸びがある」などと言うとき、そこに調律師の存在なんてまず考えないだろう。出てきた音は、そのピアニストの音として認識される。時には、「ヤマハのピアノ、いい音するじゃん」など、ピアノ自体が注目されることはあっても、出てくる音が調律師の音として認識されることはない。でもその裏には、調律師がなくてはならない裏方として存在していることを思い知らされた。
自分の楽器を持ち歩けないのがピアニストの弱み、ということをよく聞く。しかし、超一流のピアニストに限れば、演奏する曲によって、場所によって、それに最も相応しい楽器が相応しい状態で用意される。これは、他の楽器のプレイヤーには得られない特典とも言えよう。その意味でピアニストは、その評価のある大きな部分を調律師に負っていると言っても良いとさえ思った。
トークタイムでエマールが、「この映画は、バッハの『フーガの技法』という、様々な楽器の音が求められる特殊な作品のレコーディングの場面だったため、ここまで音にこだわった」と、普段はここまで苦労してひとつに音を求めているわけではない、と言っていたが、必要とあれば、自分が求める音を提供してくれる有能な協力者を持つエマールは幸せなピアニストだ。
このトークで、エマールは、「ピアノは200年以上に渡り改良が重ねられ、素晴らしい発展を遂げたが、今、ピアノ制作者には、ピアノ発展の過渡期にあったような、クリエイティヴな情熱が失われている」と言っていた。現代のピアノが更に進化することを求めているようなこの発言を聞いて、どうしても訊きたかったことがある。
昨今、ピアノフォルテなどの良さが再認識され、古楽器を用いることがブームのようになっている。エマールも映画の中でクラヴィコードへの関心を示していた。古楽器畑の人達は現代のピアノのことを、「大きな音量を得るために、他の全てを犠牲にしたマシン」といったネガティヴな言い方をすることが多い。けれど敢えて訊きたかったのは、エマールの古楽器への関心や思いではなく、現代のピアノへの思いだ。多くのピアニストが古楽器に「浮気」するのも結構だが、この映画をきっかけに、現代の楽器の良さもまた改めて見直されればな、と思った。
「ピアノマニア」オフィシャルサイト