5月24日(日)ワレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
~2008/2009シーズン第8回定期公演~
ウィーン楽友協会大ホール
【曲目】
1.シベリウス/交響曲第1番ホ短調Op.39
2.ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」
ウィーン・フィルの日曜日の定期はマチネで11時開始。
マチネでもみんな着飾ってやって来る。
ウィーン楽友協会の黄金のホール(Großer Musikvereinssaal)でウィーン・フィルの定期演奏会を聴きたい、という長年の望みも叶った。
(注)プログラムを見ながらスペルを写していたら、MusikvereinとSaalの間につなぎの”s”があるのを発見。つまり、日本で「ムジークフェラインザール」とドイツ語風に呼んでいるのは正式には「ムジークフェラインス(ホントはver-einはリエゾンしないので「フェアアインス」)・ザール」ということがわかった。
運良く定期演奏会の当日と、定期会員で満席状態のチケットを特別にウィーンフィルのチケットオフィスだけで演奏会1週間前に売り出す時にウィーンに滞在していたために実現した。
このホールで演奏会を聴くのは2度目。前回はステージ上の席でカメラータ・ザルツブルクをノリントンの指揮で聴いたが、今回は正面のGalerie(3階席)前方の席が取れた(40ユーロ)。
プログラムの1曲目、シベリウスの1番が始まると、ホール全体が豊かに美しく鳴り響き、それに全身が包まれるのを感じた。ウィーン・フィルの響きはコンツェルトハウスで聴いた美しい響きを更に超えた極上の響き。「これが正真正銘のウィーン・フィルの響きか!」と感嘆しきり。
ゲルギエフはとても彫りの深いタッチで雄弁に、熱く音楽を描いてゆく。長い息でうねるような弦の歌、高らかに輝かしく鳴り響く金管、軟らかく溶け合う木管(クラリネットが絶品!)。オーケストラ全体が大きく呼吸し、歌い、踊る。シベリウスの音楽が持つ民族的な哀感よりも、よりスタンダードなメッセージがストレートに伝わってくる演奏。後半のストラヴィンスキーではそこに更にロシアの血が加わるかも、と更なる期待が膨らむ。
プログラムの曲目のページには1919年版で採用された7曲が記載されていたが、実際に演奏されたのは全曲版だと思う(プログラムの解説に「今日はしばしば演奏される組曲版ではなく、バレエ音楽全曲がプログラムに乗ります」と書いてあったし。でもプログラムの表と中味がどうして違うんだろうか。)。
その演奏、期待していたロシアの血は特に伝わってこなかったばかりか全体的に理性的な演奏で、ゲルギエフに持っていたアグレシヴなイメージとは随分異なっていた。それに切れ味にも本来あるはずの冴えは感じられず、肝心の場面で金管に乱れが生じたりして、これはちょっと期待はずれ。
フィナーレでは盛り返し、高らかに全曲を閉じると会場のあちこちからブラボーが飛び大喝采となったが、これなら以前ゲルギエフとN響の共演で聴いた「春の祭典」のエネルギッシュでハイテンションの演奏の方が断然いい… ということで、ゲルギエフには11月のN響への客演に期待しよう。
オケが引けた後までゲルギエフが独り呼び出された。
ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルの定期演奏会のチケットはこうして手に入れた
~2008/2009シーズン第8回定期公演~
ウィーン楽友協会大ホール
【曲目】
1.シベリウス/交響曲第1番ホ短調Op.39
2.ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」
ウィーン・フィルの日曜日の定期はマチネで11時開始。
マチネでもみんな着飾ってやって来る。
ウィーン楽友協会の黄金のホール(Großer Musikvereinssaal)でウィーン・フィルの定期演奏会を聴きたい、という長年の望みも叶った。
(注)プログラムを見ながらスペルを写していたら、MusikvereinとSaalの間につなぎの”s”があるのを発見。つまり、日本で「ムジークフェラインザール」とドイツ語風に呼んでいるのは正式には「ムジークフェラインス(ホントはver-einはリエゾンしないので「フェアアインス」)・ザール」ということがわかった。
運良く定期演奏会の当日と、定期会員で満席状態のチケットを特別にウィーンフィルのチケットオフィスだけで演奏会1週間前に売り出す時にウィーンに滞在していたために実現した。
このホールで演奏会を聴くのは2度目。前回はステージ上の席でカメラータ・ザルツブルクをノリントンの指揮で聴いたが、今回は正面のGalerie(3階席)前方の席が取れた(40ユーロ)。
プログラムの1曲目、シベリウスの1番が始まると、ホール全体が豊かに美しく鳴り響き、それに全身が包まれるのを感じた。ウィーン・フィルの響きはコンツェルトハウスで聴いた美しい響きを更に超えた極上の響き。「これが正真正銘のウィーン・フィルの響きか!」と感嘆しきり。
ゲルギエフはとても彫りの深いタッチで雄弁に、熱く音楽を描いてゆく。長い息でうねるような弦の歌、高らかに輝かしく鳴り響く金管、軟らかく溶け合う木管(クラリネットが絶品!)。オーケストラ全体が大きく呼吸し、歌い、踊る。シベリウスの音楽が持つ民族的な哀感よりも、よりスタンダードなメッセージがストレートに伝わってくる演奏。後半のストラヴィンスキーではそこに更にロシアの血が加わるかも、と更なる期待が膨らむ。
プログラムの曲目のページには1919年版で採用された7曲が記載されていたが、実際に演奏されたのは全曲版だと思う(プログラムの解説に「今日はしばしば演奏される組曲版ではなく、バレエ音楽全曲がプログラムに乗ります」と書いてあったし。でもプログラムの表と中味がどうして違うんだろうか。)。
その演奏、期待していたロシアの血は特に伝わってこなかったばかりか全体的に理性的な演奏で、ゲルギエフに持っていたアグレシヴなイメージとは随分異なっていた。それに切れ味にも本来あるはずの冴えは感じられず、肝心の場面で金管に乱れが生じたりして、これはちょっと期待はずれ。
フィナーレでは盛り返し、高らかに全曲を閉じると会場のあちこちからブラボーが飛び大喝采となったが、これなら以前ゲルギエフとN響の共演で聴いた「春の祭典」のエネルギッシュでハイテンションの演奏の方が断然いい… ということで、ゲルギエフには11月のN響への客演に期待しよう。
オケが引けた後までゲルギエフが独り呼び出された。
ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルの定期演奏会のチケットはこうして手に入れた
あ、その前に台湾の旅日記を終わさねば…!
まだウィーン、ドイツでコンサートを聞いたことがないので、いつか実現したいものです。
紅茶、美味しかったです!