母の死からすでに4ヶ月。8月には新盆を済ませ、母に関する葬祭行事の忙しさの山を越えたせいか、だいぶ生活が落ち着いて来て、母のことも思い出したり、思い出さなかったり。意識はほとんど自分の生活に向くようになっていました。
・・・というところで、この前書いたメラノーマ疑惑が出て来たのでした。結局診断結果はシロだったので、ほっとしたのですが・・・
今までは、そこで、「あ~よかった」で終わったのですが、今回は母の死を経験したせいか、ただの疑いだったにしろ、その「死」を感じた余韻がずっと残っていて・・・考えすぎたせいか、ちょっと体調がしばらく優れませんでした(おなかが壊れてしまったのですね)^^;
だんなさんからは「そんなことでよわっちいな~」と笑われたのですが(笑)。私も自分に「ほんと肝っ玉ちいさいな~」と自分に苦笑したのですが、
やっぱりまだ私は死にたくないんだな・・・と思いました。
死というのは、いつ死んだら後悔しないというのはきっとないのだろうなあと。
年齢はいつになっても、結局死というものは途中で人生を中断させるものであるから。
そのときどきで、自分が執着するものがあるのだと思います。
(うちの母は、まだ孫が小さいから、自分のことを忘れられてしまいそうで今死ぬのは嫌だと言ってました。
でも、それは杞憂に終わりそうです。娘はときどきおばあちゃんの話になると今でも泣いています・・・)
客観的に見て、私は人生において大きなことを成し遂げてはいません。だけど、そのときそのとき、いつも真剣には生きて来たとは思っています。
でも、今回、ふと私が今死んだら・・・?と思ったときに、自分は後悔はしない・・・かもしれないけど、家族をおいていけないなあと思ったり、今まで当たり前だと思ったことが死ぬことで、夢のようなものになってしまうのかな・・・とか、リアルに死に関することを感じるようになってしまったのです。
そして、いつ死ぬかわからないから、だらだらしてられない・・・と思って、今意識して毎日やっているのは、前にも記事に書いた中国語の勉強。7年間何もしなかったら、見事に忘れてました。ほんとしゃべれなくなっていました(前もしゃべれなかったけど、もっとひどい)。
週1回レッスンなので、予習・復習におわれて、毎日やらないと追いつかないのです。記憶力が低下しているから(笑)。
これがなんとかモノになるように、がんばってます。
で、なにが書きたかったというと、たまたま見つけた記事の中に、今の私に必要な言葉があったので、紹介したいと思います。
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
『永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ』
この言葉がとても心に響きました・・・
あともう一つ。
ーーーーーーーー
今日から まもること
1
じぶんで今から かえられることにだけ
しゅうちゅうすること。
お天気とか きのうしっぱいしたこととかに
なやまないこと。
2
朝おきたら、その日に これだけはやりたい ことを
きめること。
わくわくしながら はじめること。
3
よるねるまえに、もくひょうが
たっせいできたかどうか かくにんすること。
できていたら
じぶんでじぶんをほめること。
できていなかったら
じぶんでじぶんをゆるすこと。
ーーーーーーーーー
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/ai/2009/01/post-baba.html
これは、小1のとき川崎病にかかり、心筋梗塞の状態になった方が病床で書き記したものです。
日に日に体が弱っていき、自由が利かなくなる中で、夜になると、これが最後の『おやすみ』になるんじゃないかと死の恐怖にとらわれたそうです。
そして、死んでも後悔しないためにはどうしたらよいのだろうか、と考え、書いたものなのだそうです。
今では、お元気で成人されていらっしゃるようです。
でも、6歳でこのことを悟るとは・・・すごい・・・
私も寝る前に、もしできないことがあっても自分をゆるすことにしよう。
できない日もきっとあるだろうから・・・
・・・というところで、この前書いたメラノーマ疑惑が出て来たのでした。結局診断結果はシロだったので、ほっとしたのですが・・・
今までは、そこで、「あ~よかった」で終わったのですが、今回は母の死を経験したせいか、ただの疑いだったにしろ、その「死」を感じた余韻がずっと残っていて・・・考えすぎたせいか、ちょっと体調がしばらく優れませんでした(おなかが壊れてしまったのですね)^^;
だんなさんからは「そんなことでよわっちいな~」と笑われたのですが(笑)。私も自分に「ほんと肝っ玉ちいさいな~」と自分に苦笑したのですが、
やっぱりまだ私は死にたくないんだな・・・と思いました。
死というのは、いつ死んだら後悔しないというのはきっとないのだろうなあと。
年齢はいつになっても、結局死というものは途中で人生を中断させるものであるから。
そのときどきで、自分が執着するものがあるのだと思います。
(うちの母は、まだ孫が小さいから、自分のことを忘れられてしまいそうで今死ぬのは嫌だと言ってました。
でも、それは杞憂に終わりそうです。娘はときどきおばあちゃんの話になると今でも泣いています・・・)
客観的に見て、私は人生において大きなことを成し遂げてはいません。だけど、そのときそのとき、いつも真剣には生きて来たとは思っています。
でも、今回、ふと私が今死んだら・・・?と思ったときに、自分は後悔はしない・・・かもしれないけど、家族をおいていけないなあと思ったり、今まで当たり前だと思ったことが死ぬことで、夢のようなものになってしまうのかな・・・とか、リアルに死に関することを感じるようになってしまったのです。
そして、いつ死ぬかわからないから、だらだらしてられない・・・と思って、今意識して毎日やっているのは、前にも記事に書いた中国語の勉強。7年間何もしなかったら、見事に忘れてました。ほんとしゃべれなくなっていました(前もしゃべれなかったけど、もっとひどい)。
週1回レッスンなので、予習・復習におわれて、毎日やらないと追いつかないのです。記憶力が低下しているから(笑)。
これがなんとかモノになるように、がんばってます。
で、なにが書きたかったというと、たまたま見つけた記事の中に、今の私に必要な言葉があったので、紹介したいと思います。
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
『永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ』
この言葉がとても心に響きました・・・
あともう一つ。
ーーーーーーーー
今日から まもること
1
じぶんで今から かえられることにだけ
しゅうちゅうすること。
お天気とか きのうしっぱいしたこととかに
なやまないこと。
2
朝おきたら、その日に これだけはやりたい ことを
きめること。
わくわくしながら はじめること。
3
よるねるまえに、もくひょうが
たっせいできたかどうか かくにんすること。
できていたら
じぶんでじぶんをほめること。
できていなかったら
じぶんでじぶんをゆるすこと。
ーーーーーーーーー
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/ai/2009/01/post-baba.html
これは、小1のとき川崎病にかかり、心筋梗塞の状態になった方が病床で書き記したものです。
日に日に体が弱っていき、自由が利かなくなる中で、夜になると、これが最後の『おやすみ』になるんじゃないかと死の恐怖にとらわれたそうです。
そして、死んでも後悔しないためにはどうしたらよいのだろうか、と考え、書いたものなのだそうです。
今では、お元気で成人されていらっしゃるようです。
でも、6歳でこのことを悟るとは・・・すごい・・・
私も寝る前に、もしできないことがあっても自分をゆるすことにしよう。
できない日もきっとあるだろうから・・・
子供たちの新学期が始まり、ようやくゆっくり独りの時間を楽しんでいます。
覚えていますか?
お互いのだんなさんのお誕生日が一緒だったこと。
先日うちのオットが「人生折り返しの誕生日を迎えました」とポツリ発言して、しみじみしちゃいました。
私も何か目標をもって日々生きていきたいと思っています。
polinさんのブログにはいつも刺激をもらっているんですよ~
また近いうちに人生を語り合いましょう
寝る前に1日を振り返ったら褒めることより許すことのほうが多そうな私・・笑
そのうち許せなくなりそうな・・・あははっ
いや、冗談はさておき・・
私もpolinちゃんの考え方にいろいろ刺激を受けてるよ。
『永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ』
いい言葉だね。
なんか元気が出ます。
ガンバろっと♪
先月はありがとう!みんなで会えて楽しかったね^^
ほんと、学校が始まってようやく自分の時間が持てたよね。
そう、だんなさんがお誕生日一緒だったよね!
遅まきながらお誕生日おめでとうございます~
だんなさんが感じるように、そろそろ折り返し地点だよね。
わたしたち。
実感する年齢になった・・・のが不思議。
であったころは無敵の10代だったのにね。
ときどき怪しいことも書いてあるこんなブログ(笑)ですが、
読んでくれてありがとう^^
うん、またいろいろ語ろうね☆
私は勉強して、それをどう自分のものにするかが今後の課題かなあ。
私も、ま、いいや。ということが今まで多かったので(笑)、
意識を変える出来事があって、少しずつでもそれを変えていこうと。
上で紹介した記事を読んだとき、結果ではなく、
プロセスを楽しむことが大切なのかもなあと
ふと思いました。