国府は太平洋に面した集落 天正年間(1573年 - 1593年)に浄土真宗の布教のために訪れた僧の道念が
南北方向に幅2間半(≒4.5 m)の主要道を敷き これに平行する2本の世古(路地)と直交する16本の世古を整え 各戸は四方を高い槙垣で囲った
この槙垣は 火災 台風 暴風水害 塩害 高波 浜砂の飛散 冬の 北西の季節風など 災害に役立っている
安政東海地震(1854年)で津波に襲われたが 槙垣で
被害は軽微で 死者は無く また 火災では 延焼を防げたらしい
国府は太平洋に面した集落 天正年間(1573年 - 1593年)に浄土真宗の布教のために訪れた僧の道念が
南北方向に幅2間半(≒4.5 m)の主要道を敷き これに平行する2本の世古(路地)と直交する16本の世古を整え 各戸は四方を高い槙垣で囲った
この槙垣は 火災 台風 暴風水害 塩害 高波 浜砂の飛散 冬の 北西の季節風など 災害に役立っている
安政東海地震(1854年)で津波に襲われたが 槙垣で
被害は軽微で 死者は無く また 火災では 延焼を防げたらしい
あちこちに 井戸をはじめ 人々に即役立つ いろいろなものが残されています
空海なども行く先々で土木工学的業績を残していますが、当時の僧侶はそうした役割を担っていたんですね。