伊勢志摩つれづれ

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人生楽じゃないよ 生い立ちと出家(しゅっけ)

2020-07-13 17:57:17 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
我が家の曾祖母は 藤堂藩の武将の娘
白馬に乗ってきたと聞く
教育に厳しく 祖父を東京で教育を受させたが
日露戦争に応召(おうしょう)され 20歳半ばで戦死
母は 父=祖父の顔も知らずに生まれ
祖母との2人暮らしが続いたが
その母に 父を養子で迎えた

父は 昭和10年ころ 300坪もある豪邸を建てた
5人兄弟の末子の私は お坊ちゃまで育った

それが 突如 天国から奈落の底へ突き落された
それは 昭和19年9月 父が急遽逝去 追うように
12月の東南海地震で 家屋が倒壊 
傾いて残った 長屋門の納屋1つ室で
祖母 母 兄 姉と私の5人の生活が始まった

更に翌20年8月 敗戦で 年貢暮らしの我が家は
予貯金債権封鎖 農地解放になり 気位の高かった
母は あまりの安さに 供託されたお金は
受け取らず流した 
預貯金など封鎖解除されたときは 
無価値に等しい状態だった

兄は 就職していたといえ 1~2年で
終戦で会社は 倒産状態で人員整理で退職

食べることすらままならぬ時 歯を食いしばり
商業高校へは行かせてもらったが
遠足などの有料行事は いろいろ理由づけて不参加
学校に残った

卒業し 就職難の時代ではあったが 
赤穂浪士が討ち入り後 泉岳寺に向かう途中
休んだという 味噌屋に漸く就職したが 
丁稚以上に厳しい仕事だった

母は 口減らしに出てゆく私を察して
なけなしの中 旅費と3万円を渡してくれたが
厳しかっただろう
この3万円以外は 以来 生家から一切貰ったものはない
(東京までの旅費は当時970円 初任給手取り5千円程度)
私の 旅立ちの自立の始まりです


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