破・常識 あつしさんのブログより
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今日の破・常識!
義務というのは 強制・コントロール・・・らしい(笑)
アシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
あなた達には たくさん”~~ねばならない”があって大変ですね。
たくさん”~~ねばならない”があるから
たくさん 罪悪感が生まれるのです。
正しい生き方は こうでなければならない・・
人には 優しくなければならない・・
親の言うことはよく聞いて 親孝行をしなければならない・・
~~~~ねばならない・・のオンパレードですね。
どうして こんなにたくさん”~~ねばならない”があるのでしょうか?
たくさんありすぎて どこからお話ししていいか・・迷いますが、
例えば 親孝行しなければならない・・
ということについてお話ししましょう。
親は 自分を育ててくれた大切な人なのだから
大切にしなければいけない・・・
当たり前のことです。
わざわざ 人に言われることではありません・・
しかし ここに大きな問題があります。
その親孝行のモデルケースです。
これが 親孝行なのですよ・・というモデルケースが作られ
それに合わない事は ダメです・・とされていることです。
年老いた親を背負い 優しく声をかけ
常に側にいて 何からなにまで世話をする・・
これが 親孝行なのでしょうか??
こんなことをしていたら どちらもつらくて仕方がないでしょう・・
親は 自分で出来ることまで
年を取ったからという理由で取り上げられ、
年を取ったならば 年よりらしくしていなさいと刷り込まれ、
子供は 親のために自分の自由なことも出来なくなる!
このような道徳観を持っていると 子供は自分の好きな事をすることに
罪悪感を感じるようになってしまいます。
親を大切にするのは 当たり前のことです。
でも そこにモデルケースはいりません。
親も 変なモデルケースに惑わされてしまうと
子供をしばりつけ コントロールすることになってしまうのです。
これは お互いにとっていい関係ではありません。
形だけの 道徳と呼ばれるものに従う必要はないのです。
そこに 愛があれば 人に言われなくても 親を大切にします。
反対に ”~~ねばならない”で動いてしまうと
義務になってしまいます。
義務というのは 強制です。コントロールです。
人は 強制されると ハートが拒否するのです。
人は 本来自由であることをハートが知っていますから
強制、コントロールというものには ハートがとても嫌がります。
何が言いたいかと言うと・・
同じことをしても ハートが喜んで 自分の意思でしているのと、
義務(強制、コントロール)されてしているとでは
全く違うことになってしまう・・ということです。
何故 道徳などというものがあるのでしょうか?
それは あなた達の社会が”愛”とかけ離れているからです。
”愛”に満ちた社会では 当たり前のことばかりですので、
いちいち そんなことを誰かに言われることも 言う必要もないのです。
本当に 親孝行したかったら まず あなたが自由になってください。
好きなことをして 楽しんでいてください。
そうすれば あなたの中に”愛”があふれてきます。
”愛”にあふれた人は 誰に言われなくても
親(人)を大切に出来るのです。
”愛”するのは 誰かではなくて まず あなた自身です。
あなた自身が あなたを愛していれば
すべての存在に愛を贈ることが 出来るのです。
愛は 義務からは出てきません
愛は 楽しさ、自由、喜びです。
そして 人を大切にすることは 依存させることではない・・と
もう一度 言わせてください。
言葉の壁ですね・・お話ししたいことが 伝わっていますでしょうか?
言葉の表面だけをとらえずに
エネルギーで読んで頂ければうれしいです。
あなたに 愛と感謝 そして平和の光を送ります」
ありがとう アシュタール!
義務というのは 強制・コントロール・・・らしい(笑)
アシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
あなた達には たくさん”~~ねばならない”があって大変ですね。
たくさん”~~ねばならない”があるから
たくさん 罪悪感が生まれるのです。
正しい生き方は こうでなければならない・・
人には 優しくなければならない・・
親の言うことはよく聞いて 親孝行をしなければならない・・
~~~~ねばならない・・のオンパレードですね。
どうして こんなにたくさん”~~ねばならない”があるのでしょうか?
たくさんありすぎて どこからお話ししていいか・・迷いますが、
例えば 親孝行しなければならない・・
ということについてお話ししましょう。
親は 自分を育ててくれた大切な人なのだから
大切にしなければいけない・・・
当たり前のことです。
わざわざ 人に言われることではありません・・
しかし ここに大きな問題があります。
その親孝行のモデルケースです。
これが 親孝行なのですよ・・というモデルケースが作られ
それに合わない事は ダメです・・とされていることです。
年老いた親を背負い 優しく声をかけ
常に側にいて 何からなにまで世話をする・・
これが 親孝行なのでしょうか??
こんなことをしていたら どちらもつらくて仕方がないでしょう・・
親は 自分で出来ることまで
年を取ったからという理由で取り上げられ、
年を取ったならば 年よりらしくしていなさいと刷り込まれ、
子供は 親のために自分の自由なことも出来なくなる!
このような道徳観を持っていると 子供は自分の好きな事をすることに
罪悪感を感じるようになってしまいます。
親を大切にするのは 当たり前のことです。
でも そこにモデルケースはいりません。
親も 変なモデルケースに惑わされてしまうと
子供をしばりつけ コントロールすることになってしまうのです。
これは お互いにとっていい関係ではありません。
形だけの 道徳と呼ばれるものに従う必要はないのです。
そこに 愛があれば 人に言われなくても 親を大切にします。
反対に ”~~ねばならない”で動いてしまうと
義務になってしまいます。
義務というのは 強制です。コントロールです。
人は 強制されると ハートが拒否するのです。
人は 本来自由であることをハートが知っていますから
強制、コントロールというものには ハートがとても嫌がります。
何が言いたいかと言うと・・
同じことをしても ハートが喜んで 自分の意思でしているのと、
義務(強制、コントロール)されてしているとでは
全く違うことになってしまう・・ということです。
何故 道徳などというものがあるのでしょうか?
それは あなた達の社会が”愛”とかけ離れているからです。
”愛”に満ちた社会では 当たり前のことばかりですので、
いちいち そんなことを誰かに言われることも 言う必要もないのです。
本当に 親孝行したかったら まず あなたが自由になってください。
好きなことをして 楽しんでいてください。
そうすれば あなたの中に”愛”があふれてきます。
”愛”にあふれた人は 誰に言われなくても
親(人)を大切に出来るのです。
”愛”するのは 誰かではなくて まず あなた自身です。
あなた自身が あなたを愛していれば
すべての存在に愛を贈ることが 出来るのです。
愛は 義務からは出てきません
愛は 楽しさ、自由、喜びです。
そして 人を大切にすることは 依存させることではない・・と
もう一度 言わせてください。
言葉の壁ですね・・お話ししたいことが 伝わっていますでしょうか?
言葉の表面だけをとらえずに
エネルギーで読んで頂ければうれしいです。
あなたに 愛と感謝 そして平和の光を送ります」
ありがとう アシュタール!