「保育園落ちた 日本死ね」というプログが波紋を広げている。慢性的な保育園の不足に伴う待機児童の多さに原因があるのだが、その背景には、結婚して子供を産んでも、外に出て働かなければならないという経済的な事情があるのだろう。
つくづく、専業主婦が死語になったと感じる。男女平等社会となった今、女性に求められているのは、男性と同じように働き、成果を挙げ、稼げる能力なのだ。
かっては、山一證券、今では、シャープ、東芝など、これまでピカピカの一流企業とされていたのが、今や見る影もなく廃業や外国企業に身売り、あるいは、バラバラに分割されるなど、もはや、大企業と言えども、定年まで無事に勤められるかわからない時代だ。
このため、結婚しても、夫はいつリストラや転職の憂き目に合うかわからず、給料もなかなかアップしないため、共稼ぎをせざるを得ず、子供が生まれても、働きに出なければ家計を維持できないのだから、保育園に入れるか否かは深刻な問題なのだ。
終身雇用制がまだ健在だった時代、女性には、専業主婦に加え、家事手伝いという職種?もあった。
家事手伝いとは花嫁修業のことで、炊事、洗濯、裁縫など主婦として必要な知識や技量を身に付けている最中で、いつでもお嫁に行けますよという意思表示でもあった。
今なら、無職とかフリーターなどと、マイナスのイメージで受け取られるだろうが、当時は、年頃のお嬢さんなのだなと、好意的に受け取られていた。
そういえば、短大も姿を消してしまった。4年制大学に行かせると、卒業時には22歳なってしまい、へたをすると婚期を逃してしまう恐れがあるので、2年制の短大に入れて、一応、学歴を付けさせ、できるだけ早く結婚させるというのがお決まりのコースであった。
このため、企業も女性の仕事といえば、もっぱら、お茶くみや軽い事務職であったから、男性との間に給与格差が発生するのは必然であった。
しかし、今では、女性も男性と同じ仕事をし、成果を求められるようになったため、2年制から4年制大学へと多くの大学が衣替えしたのだ。
男性と同じような能力を身に付け、仕事をし、成果を求められ、結婚すれば子供を育てながら仕事をしなければならい今の時代、つくづく、女性に取っては厳しい時代だと思う。保育園に落ちなくても、日本死ねとの一つも言いたくなるではないか。
給与格差があっても、昇進格差があっても、結婚すれば「亭主元気で留守がいい」とうそぶきながら、専業主婦で、子育てに専念できた時代の方が良かったのでは?
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