星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

心の電波

2022-02-07 20:35:13 | 日記

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言葉に頼るのもいいけれど、言葉では全てが賄えないのだと、最近気づかされました。言葉では伝えられないものの数々を、どうにかして表明していくために、言葉以上の意味を知って対応していかなくてはなりません。

裏腹な表現は無限にありそうです。恋愛やビジネスにおいても、たくさんの裏腹な表現が出てきます。そのどれもに価値をつけることはできませんが、直接な表現が必ずしも相手に伝わりやすいわけではないのもその通りです。不思議なもので、間接的な表現や比喩を用いた表現がよき具合に相手の能動的な感性を揺さぶってくれる、そんなことも多々あります。

さて、私は上記の文章で、言葉の不思議さに着目してはいますが、別にそこまで深掘りしたいわけでもありません。

後悔の連続が起こる最中で、同じ過ちを繰り返すまいとして自制を働かせると、仕事が終わってブログを書く時間にはすっかり落ち着いてきて、その後悔の源となる要因を書き出した次第でございます。人とのやり取りには、理解し合うことへの難しさに、一人でいる時間に悶え苦しんでしまうことが多く、さらに自分の責任を追求すると嘆かわしさがこんこんと湧水のように溢れかえっていきます。コミュニケーションの弊害は、自分一人で内包できるものではなく、相手ありきの被害となっていきますので、しかしそれをこちら側では完全にカバーしきれないわけです。今頃、相手は昨日のことについて何を考えているのだろうかと、そんな心配や申し訳なさが込み上げてきます。意外と世の中の人たちは、私ほど物事に対しての背徳感が長続きしないみたいなので、私の心配性なだけだと願いたいのも山々、とりあえずは相手の内面の強さに耐えてもらうしかないみたいです。

ですが、これからのやりとり、少なくとも未来の私とのやりとりについては、私が猛省している以上、思いやりを忘れてはいけません。考えすぎなので、考えすぎなことが裏目に出ないように、もっと素直な言葉を投げかけられたらなと思っています。