『女王の教室』最終回の視聴率は、25.3%で今年のドラマで現在最高視聴率だそうです。・・・う~ん最初から視れば良かったなあ~。
***
イヤミで言うのじゃなくて、最初嫌悪感を示した視聴者が徐々にドラマを受け入れていく、「心理的変化はどうだったのか?」知りたいなあ~。
とてつもなく過激で理不尽なストーリー進行をしながら、人々を魅了し、最後は納得させる“演出のテクニック”の秘密を知りたい・・・。
強引に理屈をつけて、正当化や美化をしたわけでもないし。
(ただ、【真矢】のセリフは終わり頃、正論に磨きがかかっていたけど)
クラスがまとまっていき、子供達が先生へ親近感を抱いていく過程もちゃんと見てきた。そこに無理を感じなかったのは何でだろう?
もしこのドラマを分析した本が出たら買ってみたいな。
***
ボクが学校に通っている頃は、「校内暴力」「非行」「落ちこぼれ」が問題になっていた。「落ちこぼれ」は結局「非行」に走ると理解されていた。
学校ドラマのテーマも、「校内暴力」「非行」「落ちこぼれ」であって、言い方を変えれば“注目されたければ「非行」に走ればいい”という事だったのだ。
芸能界を見れば一目瞭然。。ツッパリがアイドルだったのもこの時代。もてたければ「昔は俺もワルだったよ~」と言うしね(笑)
教師から見ても「思い出深い生徒は、元気のいいワルの連中」でしょう。そんなワル=ツッパリから見れば、「自分たちを相手にしてくれる」【金八先生】のような人の良いお調子者の先生を望んでいたであろう・・・。
しかし同じ教室には、問題を起こさない、先生の手を煩わせない生徒達もいて、同時に心になんらかの闇を持っていた子供達だっていたのだ。
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そしてまた同じ頃。
「先生。おとなしい子ほど、訴えているんです」
というキャッチコピーがあって、ボクはその通りだ!と思った。
それは映画の宣伝コピーだったのか、なんだったのか忘れたが・・・。とにかく共感できた。
教師は《手のかからない、大人しい子供》にもちゃんと関心を示しただろうか?
《友だちのような先生》は、大人しい子供を救えただろうか?
***
ボクの分析だが。『女王の教室』の脚本家は、こんな《友だちのような先生》へ、批判を加えているのだろうと、思っている。
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イヤミで言うのじゃなくて、最初嫌悪感を示した視聴者が徐々にドラマを受け入れていく、「心理的変化はどうだったのか?」知りたいなあ~。
とてつもなく過激で理不尽なストーリー進行をしながら、人々を魅了し、最後は納得させる“演出のテクニック”の秘密を知りたい・・・。
強引に理屈をつけて、正当化や美化をしたわけでもないし。
(ただ、【真矢】のセリフは終わり頃、正論に磨きがかかっていたけど)
クラスがまとまっていき、子供達が先生へ親近感を抱いていく過程もちゃんと見てきた。そこに無理を感じなかったのは何でだろう?
もしこのドラマを分析した本が出たら買ってみたいな。
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ボクが学校に通っている頃は、「校内暴力」「非行」「落ちこぼれ」が問題になっていた。「落ちこぼれ」は結局「非行」に走ると理解されていた。
学校ドラマのテーマも、「校内暴力」「非行」「落ちこぼれ」であって、言い方を変えれば“注目されたければ「非行」に走ればいい”という事だったのだ。
芸能界を見れば一目瞭然。。ツッパリがアイドルだったのもこの時代。もてたければ「昔は俺もワルだったよ~」と言うしね(笑)
教師から見ても「思い出深い生徒は、元気のいいワルの連中」でしょう。そんなワル=ツッパリから見れば、「自分たちを相手にしてくれる」【金八先生】のような人の良いお調子者の先生を望んでいたであろう・・・。
しかし同じ教室には、問題を起こさない、先生の手を煩わせない生徒達もいて、同時に心になんらかの闇を持っていた子供達だっていたのだ。
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そしてまた同じ頃。
「先生。おとなしい子ほど、訴えているんです」
というキャッチコピーがあって、ボクはその通りだ!と思った。
それは映画の宣伝コピーだったのか、なんだったのか忘れたが・・・。とにかく共感できた。
教師は《手のかからない、大人しい子供》にもちゃんと関心を示しただろうか?
《友だちのような先生》は、大人しい子供を救えただろうか?
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ボクの分析だが。『女王の教室』の脚本家は、こんな《友だちのような先生》へ、批判を加えているのだろうと、思っている。