blogピュア1st.

Teacupブログより引っ越して来ました。
好きなマンガや、創作マンガについて語ります。

いじめられ体験は比較できないのか。

2006-12-07 13:58:59 | ノンジャンル
 手塚治虫「自分もいじめられっこだった」と話し、「得意のマンガを描いてみせることで、いじめっこと仲良くなった」と体験を語ったり、格闘家の角田信朗も、実はいじめられっこだったと自分の体験を述べる姿は立派だと思う。

 「いじめられる体験」もしなければ人の気持ちを理解してあげることなんて出来ないでしょう。「自分は一度もいじめられた事はない」というのなら、その人は自覚もなしに誰かをいじめていた可能性もあるのではないかと思う。

(80年代は、「大人しい」とか「真面目」である事は、「暗い」の一言で完全否定された時代。「昔はワルだったよ~」とか「性格は明るいって言われます」とかいう発言しか認められなかったな。・・・それが現在、は《ちょいワル》などという形で名残りが見られる)

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 ボクはいじめられもしたし、いじめもした。大人になってもあった。それは無言の圧力を加えないとこちらが被害を受けるという事情もあるのだ。それは後述するとして・・・。

 ボクは小学校低学年で転校を経験して、《人気者》から一気に《いじめられっ子》に転落した。ボクにはこの体験は《財産》だと思える時期があった。何故なら弱者の立場が解るから。

 《いじめられっ子》になったと言っても、「特定の人間にいじわるされていた」のであり、逆にボクは自分より大人しい人に傲慢な態度であたった事もあった。
 これらの事は今思えば、それほど特別な体験ではないのかも。・・・現在の「いじめ報道」の内容とは比べられないのかもしれないなあ…と思う。

 となると手塚さん角田さんのように「自分もいじめられっ子だった」という体験談は、もう効力はないのではないだろうか。そしてボクの体験もとても財産とは言えないだろう。

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 今現在、いじめを受けている子供たちに何かを言ってあげたり、理解してあげるのは、相当困難なことだと言わざるを得ない。ボクらの体験していない事態になっているからかもしれないのだ。