“オタク”を世間に広めたのは、宅八郎だと言っていいと思う。そして彼の存在自体が問題視された。・・・彼より以前の泉麻人は世代的に少し上になるのだが、「サクセスおたく」と呼ぶ人もいたし、問題視される事はなかった。
だが宅八郎はより過激なパフォーマンスをして見せたのだ。
あの独特なファッションだって、彼の私服とは言いきれまい。その前にはオシャレに気を使った時代があったのを写真で見た事がある。彼は「オタクを演出してみせていた」に違いないのだ。
その宅八郎が、プレイボーイ誌の編集者小峯某とTV番組の中で対決していたのは、見物だった。(今思えば「何の対決をしていたのか」よくわからないものだったが…)
***
ここには「80年代的価値観」が支配していて、「明るい」は良い事。「暗い」はダメな事という2極しかなかった。
小峯某も“ガンマニア”であったが「ナンパもするし、ファッションもほどほどに気を使い、明るく行動的だ」という主張。一方宅は、「暗い」という事になる。
小峯が攻撃の主眼としたのは、「暗いヤツは認めない」という、この点だ。
小峯は自分の口でなんとか宅を封じ込め、「オタクの台頭」を阻止したかったのに違い無い。しかし宅は(オタクの多くがそうであるように)舌戦には強かったのだ。
小峯は自分の主張が通らない事に憤りを感じていたに違い無いし、対決の不毛さに気づいてもいただろう。
高圧的な小峯がオタク宅八郎に粉砕されていく様は、正直痛快だった。
…それでも小峯は苦し紛れに、しきりに「オタクの定義」をして対抗しようとしていた。
それはこういったものだ。
「オタクは、自分の部屋に閉じこもって自分の趣味に没頭し・・・」
“外に出て、女と遊べ”と、そう言いたかったのだろう。
だがこの定義は、何の価値もないし意味もない。
「自分の部屋に閉じこもって」いるのなら、【コミケ】という、世界に名の轟くビッグイベントが成り立つわけがないではないか・・・。オタクはきわめて活動的だし、コミュニケーション好きだ。ここは誤解してはいけないと思う。
しかし小峯のような誤解は残念な事に世間に広まっていく・・・。
話はややこしい事になっていくのだ。
*この「宅vs小峯」の詳細を知りたくて検索したら、こういうサイトが見つかりました。裏事情が解って面白いです。クリック!
だが宅八郎はより過激なパフォーマンスをして見せたのだ。
あの独特なファッションだって、彼の私服とは言いきれまい。その前にはオシャレに気を使った時代があったのを写真で見た事がある。彼は「オタクを演出してみせていた」に違いないのだ。
その宅八郎が、プレイボーイ誌の編集者小峯某とTV番組の中で対決していたのは、見物だった。(今思えば「何の対決をしていたのか」よくわからないものだったが…)
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ここには「80年代的価値観」が支配していて、「明るい」は良い事。「暗い」はダメな事という2極しかなかった。
小峯某も“ガンマニア”であったが「ナンパもするし、ファッションもほどほどに気を使い、明るく行動的だ」という主張。一方宅は、「暗い」という事になる。
小峯が攻撃の主眼としたのは、「暗いヤツは認めない」という、この点だ。
小峯は自分の口でなんとか宅を封じ込め、「オタクの台頭」を阻止したかったのに違い無い。しかし宅は(オタクの多くがそうであるように)舌戦には強かったのだ。
小峯は自分の主張が通らない事に憤りを感じていたに違い無いし、対決の不毛さに気づいてもいただろう。
高圧的な小峯がオタク宅八郎に粉砕されていく様は、正直痛快だった。
…それでも小峯は苦し紛れに、しきりに「オタクの定義」をして対抗しようとしていた。
それはこういったものだ。
「オタクは、自分の部屋に閉じこもって自分の趣味に没頭し・・・」
“外に出て、女と遊べ”と、そう言いたかったのだろう。
だがこの定義は、何の価値もないし意味もない。
「自分の部屋に閉じこもって」いるのなら、【コミケ】という、世界に名の轟くビッグイベントが成り立つわけがないではないか・・・。オタクはきわめて活動的だし、コミュニケーション好きだ。ここは誤解してはいけないと思う。
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話はややこしい事になっていくのだ。
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