『オカルト』田口ランディ/新潮文庫/438円
『オカルト』の題名に曵かれて買った。
著者にまつわる不思議現象を書いた本だ。
しかし著者は“霊感”はまったく無く、“超常現象もUFOも”信じないという。
そういう人の語る「オカルト」に興味が湧くではないか。
“掌編小説集”とあるけれど、エッセイ集という印象だ。
小さい頃の想い出も再現ドラマ風に語られていく。
思った通り、幽霊は出ないし霊現象も恐怖体験も出てこない。
しかし日常をみつめ、過去を振り返る著述の中で、著者の“霊感”は研ぎすまされていくようだ。
・・・“霊感”と書いたけれど、
「幽霊は信じないが、私は日本人として、内なる霊的なものを持っている」とある著名人が言っていた。共感できる。日本の風土の中で、霊的な歴史を共有していると思うし、誰もが霊的な存在だと思うからだ。
田口ランディも、「霊を信じる」のではなく、自ら霊的な存在として「オカルト」を語っているのだと思う。読み進むうちに、異常な出来事や異界に遭遇していく。
恐怖ではなく、涼しげな気配だ。
私も似たようなものかなあ。
自分がそういうものに興味があるのに、実際には自
分には体験できない。だからこそ客観的に見られる
ということもあるのかもしれません。
田口ランディさん…どっかで聞いたような(^_^;)
本、探して見ます。
そうですね。客観的でどこか冷めたような視点だと
思うんです。秋田さんも共感できそうですね。
それで霊感はない、と言いながら、書き綴るうちに
著者はある種のトリップ感覚になってるように感じ
ます。霊媒も同じような原理ですよね。
創作にはそういう所がありますよね。
あ~!ありますよね!(激しく同調)
描いているうちに、その世界に入れ込んでしまっ
て、いつのまにかキャラクターになりきってしま
う。
ああそうか、いつもの自分ではない別のキャラク
ターになれるんですね。
だから、創作ってやめられないのかもしれない(^
_^;)
変な方向に話がずれました…
里中満智子さんがそう言って「マンガを描く動機
について」説明していましたよ。昔の《なかよし》
などで目にしました。
ボクはそんなに上手くキャラを描き分けている自
信はないですが、それでも「本当のボクはどれだろ
う?」と思う事がありますよ。
暴力シーンも描きますが、日常的には暴力などふ
るわないし(^^;
自分の色んな面を振り分けているんですかね…?
い。…舞台と客席の間で作られるのだ」と言ったそ
うですが。
「創り手と受けての共同作業」
と、同じかもしれませんね。
作品を発表しない主義(その方が純粋なアートだ
と考える)の人がいますけど、ボクは反対です。
やはり鑑賞者がいて、作品は完成すると思うので
す。
http://www.cmo.jp/users/pure1st/