■1日目
羽田(JAL便)⇒岡山空港着⇒バス移動~倉敷アイビースクエア着⇒大原美術館鑑賞
⇒夜は倉敷美観地区の散策⇒倉敷泊
楽しみにしていた大原美術館では、エル・グレコの「受胎告知」ほか
たくさんの作品を鑑賞。
時代の先読みをしてこれだけのコレクションを収集していた大原氏の財源は
いかほどだったかと感心するばかりです。
お金持ちも、こうしたことにお金を使っていただけるととても嬉しい・・・。
【大原美術館】 ※Wikipediaより抜粋
岡山県倉敷市にある美術館で、公益財団法人大原美術館が運営し、倉敷美観地区の一角をなす。
館長は西洋美術史家の高階秀爾。名誉理事長大原謙一郎、理事長大原あかね。
DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎
に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。
西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。
第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が数多く誕生したが、
日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期、
一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。
ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の
先見性は特筆すべきであろう。
しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど注目度は低かった。
【創設者】
大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。
倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、
中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。
日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが
大原の人生を変えたという。
プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、
事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、
労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。
大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。
美術館をゆっくり鑑賞した後は、倉敷美観地区を散策。
川沿いの柳の木がとても風情があって、人気の観光名所であることに納得です。
夜になるとライトアップされ、店の雰囲気もこれまた良かったです。
倉敷ジーンズや土地の銘酒、銘菓子店が軒を連ねて並び、こうなると女子はお買い物が
止まりません。
でも、1日目だったのでそこは我慢して、商品もよく吟味して購入しました。
宿泊した倉敷アイビースクエアは美観地区にあり、とても便利でした。
お部屋のアメニティーグッズも不備なく揃えられていました。
2日目に続く・・・。
羽田(JAL便)⇒岡山空港着⇒バス移動~倉敷アイビースクエア着⇒大原美術館鑑賞
⇒夜は倉敷美観地区の散策⇒倉敷泊
楽しみにしていた大原美術館では、エル・グレコの「受胎告知」ほか
たくさんの作品を鑑賞。
時代の先読みをしてこれだけのコレクションを収集していた大原氏の財源は
いかほどだったかと感心するばかりです。
お金持ちも、こうしたことにお金を使っていただけるととても嬉しい・・・。
【大原美術館】 ※Wikipediaより抜粋
岡山県倉敷市にある美術館で、公益財団法人大原美術館が運営し、倉敷美観地区の一角をなす。
館長は西洋美術史家の高階秀爾。名誉理事長大原謙一郎、理事長大原あかね。
DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎
に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。
西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。
第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が数多く誕生したが、
日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期、
一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。
ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の
先見性は特筆すべきであろう。
しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど注目度は低かった。
【創設者】
大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。
倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、
中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。
日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが
大原の人生を変えたという。
プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、
事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、
労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。
大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。
美術館をゆっくり鑑賞した後は、倉敷美観地区を散策。
川沿いの柳の木がとても風情があって、人気の観光名所であることに納得です。
夜になるとライトアップされ、店の雰囲気もこれまた良かったです。
倉敷ジーンズや土地の銘酒、銘菓子店が軒を連ねて並び、こうなると女子はお買い物が
止まりません。
でも、1日目だったのでそこは我慢して、商品もよく吟味して購入しました。
宿泊した倉敷アイビースクエアは美観地区にあり、とても便利でした。
お部屋のアメニティーグッズも不備なく揃えられていました。
2日目に続く・・・。
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