QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

アメリカ南部の思い出 5

2024-06-17 20:47:15 | Memories of the Southern States
さて授業の日。朝午前中に一コマ授業をするA中学校に行って、自分にあてがわれた教室で緊張していると二クラス分の子供たちがやってきた。学校では習熟度別でクラス分けが行われており、僕の授業には7年生(13歳)のクラスのうち一番下と一番上の計2クラス分の生徒がやってきた。

子供たちには申し訳ないが、見ればどっちのクラスの子どもかはすぐわかった。だけど、できない方のクラスの子供たちはみんなヒップホッパーのようにキマっていて、僕は顔には出さないようにしていたけれども(かっちょいい)と思っていた(笑)。

その中で一番の問題児はドレッドヘアでもう2年も留年して15歳になっているJamesだった。アメリカでは中学校でも最低限の学習ができていないと留年になる。厳しいけれど、いいことだと思った。

Jamesは教室に来るときも、校内を歩いている時も、いつもリズムを刻みながらラップのリリックを口ずさんでいた。授業が始まったらさすがにやめさせたが。日本語の単語や簡単な語法を初級学習者に教えるときに語呂合わせの歌を使ったりするのだが、新学期が始まって数週間後のある日の授業で

「James、君は歌が好きだからこの歌うたってみてよ。」と言ったら、

「・・・センセイ、オレはオレの言葉でしか、歌わない。」

と言われ、不覚にも(かっこいい・・・)と思ってしまい、”OK”と一言で済ませてしまったことがある(笑)。

問題児だったけど、面白い子供でもあった。

で、初日の話に戻ると、最初の方のブログにも書いたように僕はそもそも正規の先生の隣で会話練習要員をするためだけに来ていたので、そんな先生はいないといきなりすべての授業をやってくれと言われても、正直何をやっていいのかわからない。英語もいまいちだし。

一応授業の準備はしていたものの(こんなのつまらないだろうなぁ)と自分でも思うほどだったが、初めは目新しさもあって彼らも全然退屈しなかったようだった。その目新しさが消える数週間後には僕も試行錯誤でなんとか形になる授業ができるようになり、自転車操業のようになんとかなっていった。

ただ、英語はそんなに上手くないままだった(笑)。

午後のB中学の授業でも様子は同じで、不安しかなかった「なんちゃって先生」業の方は、結果的にまあまあなんとかなった。

初日の授業の日に所属しているB中学のメールボックスに教育委員会のオフィスから運転免許の教本が届けられていて、その三日後くらいに免許の試験を受けに行くことにした。ようやく自由に動き回れるようになるのだ。

家に帰ると運転試験に向けてCurtが隣に乗って3日間ほど運転の訓練に付き合ってくれたが、日本でも運転はしていたので問題はなさそうだった。

で、免許試験当日、免許センターに行くとまず視力検査、そして法規のマークシート試験。日本の筆記試験のように底意地の悪いひっかけ問題はそんなになかったと記憶している。アメリカの交通法規で一番気を付けなければならないのは、スクールバス。スクールバスが停止している時は追い越してはいけないし、対向車線の自動車も停止していなければならない。それ以外は日本の法規とそれほど変わらなかったと思う。

法規の試験はすぐに結果が出る。当然合格。すると、カウンターの男性が、

「じゃ、運転試験やります。準備して外に出て。」

外に出て車に乗り込む。試験官のおじさん助手席に乗る。エンジンかけて発進。免許センターから公道に出る手前で一時停止していると、

「はい、じゃ、まずそこ左折ね。」

ずっと余裕だったのに、その時何かがおかしくなって左右がわからなくなり、日本と同じ感覚で左折して左の車線に入ろうとしてしまった。

「はい、試験中止。」

・・・各方面に連絡をして学校関係者に迎えに来てもらって帰宅した。

次の日B中学に行くと「〇〇高校で運転の授業をしている先生に頼んで、仕事の後で運転の個別訓練をしてもらうように手配したから明日から一週間練習してください」と教育委員会から連絡が来ていた。

これがまた別の重要な出会いの一つだった。

今になってみれば全部予定されていたことのようにさえ思える。

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