QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

アメリカ南部の思い出 4

2024-06-17 03:21:10 | Memories of the Southern States
長文注意です。すみません、テキストだけのブログで。

アメリカ南部に滞在したときの話は、前回は学校の新学年が始まる前にローカルな床屋に行ったところまで書いたが、予定通りあの翌々日あたりにいよいよ「なんちゃって先生」としての仕事が始まった。

初日は生徒は登校せず教師とスタッフの顔合わせを兼ねたミーティングから。僕は午前中と午後で違う中学校一校ずつ、それぞれ1クラスの授業を担当することになっていたが、所属は午前のA中学ではなく午後のB中学だったので、ミーティングもB中学の方に。

教育委員会から車は貸与される予定だったが、現地の運転免許取得に興味があったため現地で取ることにして国際免許を持って行かなかったので、最初は朝にステイ先のご主人のCurtに学校まで送ってもらっていた。

「朝の通勤は車用のマグにコーヒーを入れて出かけるのがアメリカの文化だ(笑)」といわれ、マグを借りてコーヒーを片手に車に乗り込む。何をするにもいちいち(学生時代からあこがれていたアメリカにいるんだ。しかもただの留学ではなく曲がりなりにも仕事をしている。)という事実が余計に嬉しかった。

学校に着いてレセプションに行くと「図書室でミーティングよ」と言われ向かう。すでにほとんどの先生とスタッフがそこにいた。入っていくと一人かっちりスーツの男性が近づいてきて「君が”QOOTES”だね。ようこそ。」とあいさつをされたので、僕も自己紹介をして少し雑談すると、実はその人が校長先生だった。この校長先生は一年の滞在中もっとも親切にしてくださった人の一人だ。

一年後に帰国してこれから何をしようかなぁと思っていた時に、実家の近所の国立大学の大学院の入試が近々あると聞いてなんとなく受けてみたのだが、その時にも推薦状を書いてくれた。

というか、個人的に知り合った人はみんなとても親切だった。まさに”Southern Hospitality”。反面、個人的な付き合いもなく共通の友人もいないあまり知らない人の中にはアジア人に少し意地悪な人もいたが、せっかく一年限定でアメリカに行ったのにそんなのに関わっていること自体がもったいないのでそれほど気にはならなかった。それより圧倒的に親切な人の方が多かったことにも助けられたのだと思う。

校長先生のJimmyは「ミーティングの前にPTO(日本で言うPTA)の皆さんが朝食を用意してくださったから、よかったら好きなもの食べてくれ」と言う。よく見ると図書室の一角の机の上に料理が並べられていた。

これが僕と「Biscuit(ビスケット)」との運命の出会いだった。

生徒の親御さんたちが作ってくれた朝食の中にサンドイッチと同じ皿の上にソーセージを挟んだ南部名物のビスケットと呼ばれるものが並んでいたので、何だろうと思って食べてみたのだ。ビスケットと言ってもクッキーの亜種のビスケットとは形状が違う。どちらかと言うとパン。だけど、一口かじるともさもさして上の歯の裏側にべっとりとくっつく、非常に硬い蒸しパンのような粉くさい代物であった。

結論から言うと、手作りのビスケットだったからかファーストコンタクトはひどいものだったが、その後町のいろいろな店でビスケットを食べるうちに大好物になった。今でもそれを食べに数年ごとにあの町を再訪している。(もともとは南部料理だけど、ニューヨークやボストンのファーストフードでも食べられる。JFK第8ターミナルのマクドナルドは提供しているはずなので機会があれば食べてくださいね。僕のように癖になる人が出てくると思います(笑)。)

日本でもKFCにビスケットというメニューがあるが、種類としてはまさにあれである。ただ、KFCのビスケットは日本向けにデフォルメしているのか、ほとんどパンの優しい食感。本場のビスケットはあれよりももっとサクサクしているのである(人によっては粉っぽいと思うかも)。

日本では沖縄は嘉手納基地内の日本人もノーチェックで入れるダイナー「Seaside」で週末の朝食に出してくれる(平日は出していない)。そのために一年に一回は嘉手納基地まであしを伸ばすことにしている(笑)。海外だと、今は南部料理のPopeye Louisiana Kitchenという店が全米で急速に増殖していてそこでもビスケットが食べられる。実はシンガポールにも進出していたので、去年行ってみた。ただ僕のいた州にはそれほど展開していないチェーン店なんだけど。

学校の初日から生徒の親御さんのおかげで南部料理の洗礼を受けられて、味はともかくこれまた一人異国に暮らしていることが楽しくなった。何もかも新鮮だった。

新鮮と言えば、PTO(PTA)も日本とは全く違って新鮮だった。

その時の職員のミーティングは新年度の顔合わせが主目的で、先生やスタッフの自己紹介から始まり雑談をしたりと和気あいあいと進んだのだが、会の終わりごろに朝食を用意してくださった皆さんとそのまとめ役のような親御さんのご挨拶もあった。

アメリカも広いので、その町またはその学校だけかもしれないが、話を聞いているとPTO活動をしているのは純粋に志のある人たちだけで、日本とは違って興味のない人は特段関わったりもしないようで特に圧力もかけられないようだった。


そんなPTOの在り方が象徴的に見られたことが一年間の滞在中にあった。

仕事にもそこそこ慣れた数か月後の冬頃のことだった。職員会議をしていたらとあるお母さんが一人でみえて(特にPTOの役員などでもない普通のお母さん)、校長にことわって一人で演説を始めたことがあった。

「この学校の校舎は老朽化がひどいので生徒の親、そして市民として子供たちにもっといい環境で学校生活を送ってほしいと思っています。それで私は、他の志ある親御さんにも声をかけて校舎新築の資金集めを始めようと思っています。また子供たちにも資金集めをしてもらいたいと思っています。」

それを境にその後数年に及ぶ校舎新築計画がどんどん進んだことがあった。(日本とはかなり違って、この親御さんたちは完全に税金に頼ることなく自分たちでも新築の資金を集めるつもりなんだ)とアメリカのお母さん、お父さんはたくましいなぁ、かっこいいなぁと思いながら見ていた。

親たちは企業に赴いて寄付を求めたりする一方で、これも一般的なようだったが子供たちは業者から仕入れたチョコバーのようなお菓子に利益をかなり載せて親族や町の大人に売って子供たち自身でも資金集め。トップセールスを記録した子供は表彰されるので子供たちはゲーム感覚でチョコバーを頑張って売っていた。

非常にアメリカ的な気はするけど、大人も子供も当事者意識があって素晴らしいと思うし、その反面協力的でない人に変な圧力をかけていない様子もさらに素敵だなと思った(笑)。親が協力的でない子供もチョコバーを売り歩くのはとても楽しいようで頑張っていましたね。僕も複数の生徒にチョコバーを買わせられた(笑)。

因みに英語ではスニッカーズのようなチョコバーは「Candy Bar」と呼ばれるようで、その町では皆さんそう呼んでいた。地方によって違ったりするのかな。

また脱線した。

そんな感じで職員会議も終わり翌日から「なんちゃって先生」の日々が始まったのだ。

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