30年前、アメリカ南部で過ごしたときの細かい話を思い出し始めたので書き続けてみます。大切な記憶もこれからどんどん忘れてしまうかもしれないから。
一年間の住まいは勤務先の学校側が準備してくれることになっていたがなかなかいい場所が見つからなかったようで、最初は現地のとある小さい町の町長(Mayor)さんの家でのいわゆるホームステイだった。一か月限定。町長さんと言っても住人はそれほど多くない町なので町内会長くらいの位置づけ。それでも普通に選挙戦を繰り広げて選ぶようだった。さすが「ザ・民主主義」(アメリカ民主主義の内容については異論もあるでしょうが外形の話なのでとりあえず流してください(笑))。
この家庭はお父さんお母さんに中学生が一人、州内だが遠くの大学に通う女の子が一人の4人家族。このお父さんもまたPeace Corpsで若い頃はモロッコを中心とした北アフリカに派遣されていた人物で、任期が終わって「遊学」がてらボルドーなどのワイナリーで試飲しまくっていたらお母さんに出会って恋に落ちたという興味深いご家族。ということでお母さんはフランス人。中学生の息子や離れて暮らす娘も含め、家庭内の会話はフランス語だった。家族の会話の横で僕がキツネにつままれたような表情をしていると、英語で「通訳」をしてくれた。僕は英語がそれほど堪能ではないが、それでもフランス語よりはわかる(笑)。
毎日の食事もザ・アメリカンミールとは全然違って「フランス家庭料理」だった。庭で作ったトマトを湯剥きして自家製のビネグレットソースをかけたサラダ、ラタトゥイユ、キッシュ・ロレーヌのようなものは常備菜として作ってあって毎日前菜として食卓に上った。そのあとチキンをベーコンで巻いてチーズをのせてオーブン焼いたものや(料理名はきっとあると思うが知らない)、クスクスといったものをメインの位置づけでいただく。
食後にはお父さんが「今日のチーズは?」と聞く。フランス料理ではチーズはおつまみでも食事でもなくデザートだということをその時に知った。
お母さんは「今日は〇〇と、〇〇と〇〇よ」とチーズの銘柄を答える。地元のスーパーにもいいチーズはあるが、車で一時間少し行った州都にはフランスの食材を売る店があってそこで買ってくることも多いようだった(日本食の食材店もそこにある。それについてはまたいつか。)。好きなチーズを選んで切り分けてもらっていただく。
バブル期の最後を学生として遊んで過ごしたのでやたら流行ったカマンベールチーズはよくいただいたが、ナチュラルチーズというものの本当の美味しさはそこで初めて教えてもらった。
その後、甘い方のデザート。これは大体アメリカのスーパーに売っているこってりアイスクリームである。僕はアメリカの甘すぎるデザートも全然問題ないので(むしろ好きだが、当然健康には悪い)、当たり前のように美味しい。中でもChocolate Chip and Cookie Doughアイスクリームというチョコチップと生のクッキードウ(クッキー生地)が入った、めちゃくちゃ太るアイスクリームが好きだ(笑)。
この家庭の食事はどれもこれもすごいご馳走だなと思っていたが、僕というゲストがいるから作っていたわけではなかった。大学に行っている娘がフィアンセと帰ってきたときに、お母さんが(今日は腕によりをかけるわね)的に気合を入れて作った料理はもっとスペシャルだったからだ。
このご家族とも今も友達付き合いが続いている。約30年前にアメリカから帰ってきたそのまた一年後に「こっち(アメリカ)の大学生がつくった便利なお友達サイトがあるからそれで連絡取り合わない?」と友人に誘われて始めたのがFacebook。最初は日本語に対応していなくてインターフェイスも非常にシンプルだった。広告もなくて(笑)。当時の友人と今も密につながっていられるのはFacebookのおかげだと思う。
お父さんお母さんは親の世代からの絨毯やカーペットのお店を経営している。ホームセンターのような大規模な店だ。聞いたことはないがもうそろそろ引退される頃かもしれない。20年ほど前遊びに行った際、店に寄ったら「ちょっと人手が足りないんだ、配達に行ってくれ」と無口な従業員と二人で新築のお宅にカーペットを届けたことがある。こいつがまた軽いトークでもすればいいのに不愛想でずっと黙っているので、カーペットを敷きながら僕が苦手な英語で世間話をした。お子さんが結婚を機に新築された家とのことだった。
息子はどこか別の町で会社を経営(詳しくは知らないが、非常に聡明なバイリンガルなのでバリバリ利益を上げているはずだ)。娘はその後ニューヨークに渡り某ファッションブランドの人事部に勤めたあと写真家になった。最近は雑誌に依頼されてヘビーメタルバンドの写真をよく撮っている。Quiet Riot(まだいるみたい)に加え、Slashも撮ったと言っていたような気がする。ヘビメタではないが5年前は「Alicia Keysの仕事が来たの!」と興奮していたことがあった。どんな人だった?と聞いたら「最初は楽屋に行ったんだけど、すごく優しくて、ステキな人だったわ!」というので、「いいなぁ」と本気で思ってそう答えた。仕事だとしてもAlicia Keysに会えるなんてほんとに羨ましかった。やはりNYC(ニューヨークシティ)。
それにしても、華やかなのは僕の周囲だけだ(笑)。
一年間の住まいは勤務先の学校側が準備してくれることになっていたがなかなかいい場所が見つからなかったようで、最初は現地のとある小さい町の町長(Mayor)さんの家でのいわゆるホームステイだった。一か月限定。町長さんと言っても住人はそれほど多くない町なので町内会長くらいの位置づけ。それでも普通に選挙戦を繰り広げて選ぶようだった。さすが「ザ・民主主義」(アメリカ民主主義の内容については異論もあるでしょうが外形の話なのでとりあえず流してください(笑))。
この家庭はお父さんお母さんに中学生が一人、州内だが遠くの大学に通う女の子が一人の4人家族。このお父さんもまたPeace Corpsで若い頃はモロッコを中心とした北アフリカに派遣されていた人物で、任期が終わって「遊学」がてらボルドーなどのワイナリーで試飲しまくっていたらお母さんに出会って恋に落ちたという興味深いご家族。ということでお母さんはフランス人。中学生の息子や離れて暮らす娘も含め、家庭内の会話はフランス語だった。家族の会話の横で僕がキツネにつままれたような表情をしていると、英語で「通訳」をしてくれた。僕は英語がそれほど堪能ではないが、それでもフランス語よりはわかる(笑)。
毎日の食事もザ・アメリカンミールとは全然違って「フランス家庭料理」だった。庭で作ったトマトを湯剥きして自家製のビネグレットソースをかけたサラダ、ラタトゥイユ、キッシュ・ロレーヌのようなものは常備菜として作ってあって毎日前菜として食卓に上った。そのあとチキンをベーコンで巻いてチーズをのせてオーブン焼いたものや(料理名はきっとあると思うが知らない)、クスクスといったものをメインの位置づけでいただく。
食後にはお父さんが「今日のチーズは?」と聞く。フランス料理ではチーズはおつまみでも食事でもなくデザートだということをその時に知った。
お母さんは「今日は〇〇と、〇〇と〇〇よ」とチーズの銘柄を答える。地元のスーパーにもいいチーズはあるが、車で一時間少し行った州都にはフランスの食材を売る店があってそこで買ってくることも多いようだった(日本食の食材店もそこにある。それについてはまたいつか。)。好きなチーズを選んで切り分けてもらっていただく。
バブル期の最後を学生として遊んで過ごしたのでやたら流行ったカマンベールチーズはよくいただいたが、ナチュラルチーズというものの本当の美味しさはそこで初めて教えてもらった。
その後、甘い方のデザート。これは大体アメリカのスーパーに売っているこってりアイスクリームである。僕はアメリカの甘すぎるデザートも全然問題ないので(むしろ好きだが、当然健康には悪い)、当たり前のように美味しい。中でもChocolate Chip and Cookie Doughアイスクリームというチョコチップと生のクッキードウ(クッキー生地)が入った、めちゃくちゃ太るアイスクリームが好きだ(笑)。
この家庭の食事はどれもこれもすごいご馳走だなと思っていたが、僕というゲストがいるから作っていたわけではなかった。大学に行っている娘がフィアンセと帰ってきたときに、お母さんが(今日は腕によりをかけるわね)的に気合を入れて作った料理はもっとスペシャルだったからだ。
このご家族とも今も友達付き合いが続いている。約30年前にアメリカから帰ってきたそのまた一年後に「こっち(アメリカ)の大学生がつくった便利なお友達サイトがあるからそれで連絡取り合わない?」と友人に誘われて始めたのがFacebook。最初は日本語に対応していなくてインターフェイスも非常にシンプルだった。広告もなくて(笑)。当時の友人と今も密につながっていられるのはFacebookのおかげだと思う。
お父さんお母さんは親の世代からの絨毯やカーペットのお店を経営している。ホームセンターのような大規模な店だ。聞いたことはないがもうそろそろ引退される頃かもしれない。20年ほど前遊びに行った際、店に寄ったら「ちょっと人手が足りないんだ、配達に行ってくれ」と無口な従業員と二人で新築のお宅にカーペットを届けたことがある。こいつがまた軽いトークでもすればいいのに不愛想でずっと黙っているので、カーペットを敷きながら僕が苦手な英語で世間話をした。お子さんが結婚を機に新築された家とのことだった。
息子はどこか別の町で会社を経営(詳しくは知らないが、非常に聡明なバイリンガルなのでバリバリ利益を上げているはずだ)。娘はその後ニューヨークに渡り某ファッションブランドの人事部に勤めたあと写真家になった。最近は雑誌に依頼されてヘビーメタルバンドの写真をよく撮っている。Quiet Riot(まだいるみたい)に加え、Slashも撮ったと言っていたような気がする。ヘビメタではないが5年前は「Alicia Keysの仕事が来たの!」と興奮していたことがあった。どんな人だった?と聞いたら「最初は楽屋に行ったんだけど、すごく優しくて、ステキな人だったわ!」というので、「いいなぁ」と本気で思ってそう答えた。仕事だとしてもAlicia Keysに会えるなんてほんとに羨ましかった。やはりNYC(ニューヨークシティ)。
それにしても、華やかなのは僕の周囲だけだ(笑)。
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