それと平行して、精神科にも通っていたのですが、当時通っていた病院は今とは違う病院でした。
一応、パート5で紹介した職場の環境で、リタリンという向精神薬を処方してもらい、それを服薬しながら、耐えしのいでいました。
後で両親や今の主治医から聞いた話ですが、当時はアルコール依存と向精神薬中毒にほぼなっていたと聞きました。
話は戻りますが、自分の部屋の壁を殴って穴を空けたり、それだけで足りなくて、その頃にリストカットで半端じゃない傷を残しました。今でも残ってますが、手首ではなく腕に24針を縫う傷を自分でやりました。
その時は、遅番明けで、両親が寝静まった後にしたので、発見が遅れ自分の部屋が血の海になっていました。
傷が傷だけに、救急車で病院に運ばれましたが、警察官にも事情を聴かれました。
今でも、はっきりと覚えてますが、警察官二人に『自分は躁鬱病で、職場には伏せて働いているので、前回の職場での陰湿ないじめの話をして、そのストレスのはけ口として自傷行為をしたと』はっきり言いました。
その真偽を確かめるために、両親も警察官に説明していました。
とにかく、絶対に職場はやめないという、ある意味変なこだわりで、その後も出勤を続けていました。
字数がオーバーしそうなので、トラウマ パート7(完結編)に続きます。
記事が出来次第投稿します。
一応、パート5で紹介した職場の環境で、リタリンという向精神薬を処方してもらい、それを服薬しながら、耐えしのいでいました。
後で両親や今の主治医から聞いた話ですが、当時はアルコール依存と向精神薬中毒にほぼなっていたと聞きました。
話は戻りますが、自分の部屋の壁を殴って穴を空けたり、それだけで足りなくて、その頃にリストカットで半端じゃない傷を残しました。今でも残ってますが、手首ではなく腕に24針を縫う傷を自分でやりました。
その時は、遅番明けで、両親が寝静まった後にしたので、発見が遅れ自分の部屋が血の海になっていました。
傷が傷だけに、救急車で病院に運ばれましたが、警察官にも事情を聴かれました。
今でも、はっきりと覚えてますが、警察官二人に『自分は躁鬱病で、職場には伏せて働いているので、前回の職場での陰湿ないじめの話をして、そのストレスのはけ口として自傷行為をしたと』はっきり言いました。
その真偽を確かめるために、両親も警察官に説明していました。
とにかく、絶対に職場はやめないという、ある意味変なこだわりで、その後も出勤を続けていました。
字数がオーバーしそうなので、トラウマ パート7(完結編)に続きます。
記事が出来次第投稿します。