風に吹かれて♪

2022-07-31 18:03:00 | よのなか

ボブ・ディランは、『風に吹かれて』を歌った。

名曲だと思うし、好きな曲だ。

 

多くのマス・メディアは、風に吹かれて、

瞬間風速で、報道を流して、

問題を解決に至るまで、粘り強く時間や紙面を割かない!

 

ないわけでない。

特番や特集を組んで、

繰り返し、粘り強く、

報道を続けている報道機関もある。

 

しかし、

本当のことを知ることは、

むずかしいのか。

 

沖縄のこと、福島のこと、

昨日のことでは、ウクライナのこと、

ついこないだの事では、

桜を、森を、加計を、

関係者が消え、時間が経ち、

事件が風化し、報道機関としての賞味期限が切れてしまう、からなのか。

為政者や、ことの張本人(たち)は、

それを望み、しばし、姿をくらまし、

顔(つら)の皮は厚くなり、恥とは何かを忘れて、判らなくなる。

その襟が、その範が、世の中に、浸透する。

 

30年前だったんだ。

強い風が吹いていたのは。

 

いま、風速が強いのが、旧統一教会の事。

事件以降で、

団体の実態や、被害者の状況の報道量は増えてはいるが、

氷山の薄氷部分のようだし、

当事者のその政治関係者を追求もしきれず、

政治家の管理者は、追及しないと明言もした。

 

怒っている、

報道機関は、怒らないのか。

冷静に、風を読み、その時だけの視聴率なのか。

 

何かに似ていると思ったら、

選挙の時の、投票数。

 

ことの顛末というものは、

見届けることはできるのでしょうか。

 

真相というものに、

触れることはできるのでしょうか。

 

ズレてしまようだが、

反社との関係を追及された芸能人たちがいた。

 

当時は、問題ではなく、

成り立ち自体、構造的にも、当然のこととして、

過去のことととして、

のうのうと、優雅に過ごしている人もいるし、

今更、スターに泥を塗ることはない部分もあるでしょう。

 

しかし、

今回の事件、政治家たちは、

追求され、発言しなくて、だんまりで良いのか。

 

宗教と政治の関係は、

いまは、分離を建前にしているが、

太古からみれば、相互利用は当たり前だった。

 

 

気骨のあるジャーナリストに望みをかける。

 

「答え」は風に吹かれていく。

空気の国だから。

 

そして、答えは、

 

拒むなら、水をさすこと。

山本七平さんが教えてくれた。

 

興味をなくして忘れっぽいこちらにも問題がないわけではない。