マリは、春の辞令で総務部の係長になった。42歳。独身。
大輝と別れ、大久保と破談になってから12年。何人かの男性と付き合ったが、結婚に至る前に別れることになった。会社は大手だし役職もついた。42歳でも相変わらず若く見える。彼氏は切れたことはないのだが、結婚相手となるとスペック的に二の足を踏んでしまう。田中大輝以上の男はいないのだ。
大輝のアパートで、あの地味なブスに負けたと言う屈辱的な想いが歳を重ねるごとに大きくなっていた。
給湯室に入ると若い女子社員がおしゃべりをしていた。チッ!と舌打ちをしたが言葉だけは優しく「早く仕事に戻ってね」と言った。そして、自分のカップを洗っていると「泉田係長、ご存じですか?」と声をかけてきた。マリが振り返ると女子社員が興奮して「設計1課の田中課長、パパになるんですよ。田中課長の“子無し主義“って有名じゃないですか。自分でも“子供はいらね“って言ってたし、奥様も大学の准教授で忙しいし。。。それが44でパパですよ。双子ちゃんなんですって。65定年でもキッツ。意外なことに課長、嬉しかったみたい。自分で言って回ってますよ。」と話した。
「不妊治療でもしてたのかもね」とマリが言うと「それが自然妊娠なんですって。田中課長“参った”って言いながらにやけてるって話ですよ。」
マリは、大輝に子供ができないことで「パーフェクトな人生なんかない」と自分に言い聞かせてきた。大輝は、若々しく相変わらずイケメンで次の辞令では部長だと言われている。妻は社会的に地位の高い仕事に付いて、テレビに出たりしている。それで今度は子供まで手に入れる。
私は、綺麗で若く見えるだけ。大企業勤だけれど、ここでは上手くいって課長止まり。
「神様は不公平だ」マリはつくづく思った。
はるは界がエリカの家に来てから、エリカの家に一緒に住んでいた。青島家は一軒家で兄夫婦が転がり込んでも界がいても問題ない。2人とも高齢妊婦で双子を妊娠している。ハイリスクなのだが、今の所何の問題もなかった。
それでも、予定日の2ヶ月前には入院する。非常事態が起こる可能性は低くない。満期で自然分娩するのではなく、赤ん坊がある程度育ったら、帝王切開で出産することになっていた。
2人のお腹の見た目は、もう臨月のようだった。
エリカとはるは、流石に身体がしんどく家の中での動きもスローモーとしていた。
守り神の界は、家事をこなし2人のリクエストの通り動いていた。
守り神ではなく、お守り神になっていた。
界の目には、日毎大きくなる赤子たちが見えていた。
界たち「在る者」は母親のお腹にいる時から心で意思の疎通ができる。界もお腹の中で母とお話をしたり、お歌を歌ってもらったりした。。。人間の子供は、生まれるまで黙っているのかと初めて知った。
界は「学び」で大輝兄妹に会った日まで10年以上、奥多摩で人間のふりをして神主をしていた。でも、人間の暮らしはしていなかったので山から降りることもあまりなく、人間の暮らしや生き方については殆ど知らなかった。
本来「在る者」は食事を摂る必要がないので、スーパーに行った事もなかった。
エリカとはるに連れられて、スーパーに行った時には、面白くて「もっと早く来ればよかった」と思った。
「在る者」は食事を取らなくても存在できる。でも、界の住む王宮では食事をするのが普通だった。「料理に見立てた気」を取り込むのだ。見た目は料理、味も料理、正体は「気」。。。なんで、こんなに面倒なことをするのかと思っていたが、大輝たちと暮らして分かった。食卓はコミュニケーションの場だと。
食べながら話す。家族はその回数が他人より遥かに多い。長い間会っていない両親と高天原の兄、天(ソラ)と妹の桃花を思った。長兄ヒカルは、妻のミホと息子のアズサの3人で自室で食事をするのに拘っていた。
家族は日々作るもの。。。だったのか?と界は気づいた。そして、自分は知らないことが多すぎるようだと気がついた。
知らないと言うことが、どんなに恐ろしいことかは、まだ、彼は気がついていなかった。
イノセント後編3に続く。。。
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