渡辺淳一作の余りにも有名な小説。初版時に読みました。相当昔であらすじしか覚えていないんですが、印象的だったのは、高い美味しいもの食べて、綺麗な観光地を旅行して、20歳以上年下の美女と婚外セックスをする=男の妄想だということ。
後一つ、印象的なエピソードがあって、自分の方が夫への愛がなくなり家を出たヒロインが、自宅に帰ってみると自分のものではない歯ブラシが洗面所にあったのにショックを受けるシーン。
女のバカさと身勝手さをよく表現してあると思った。
実際に女というものは「己は求められる存在」だと勘違いしている人も多数いる。現実に知人は「自分が捨てたはずの夫が僅か2年で再婚したことが面白くなかった様子だった。
生々しい人間の生活を伴わない人間の3大欲求を満たすだけの関係は、当事者達がどんなに「愛」を叫んでも「偽物認定」しかできないと思う。私の知人は、いわゆる「略奪婚」をしたが、同居したら話す話題がなくなった。セックスもレスになったとボヤいていた。男の方もよく知ってる奴なので、また次の「真実の愛」にはまっているのかもしれない。要は、金持ち男なんだよ。
「お金がありすぎるから離婚に時間がかかるんだよ。全部、奥さんに渡したら?」と私は知人に言ったことがある。すると知人は「お金がない男は困る」と宣った。
先ほど「略奪婚」と書いたが、籍は入れていない。それだけはできないと男の方は言う。
彼女は、今住んでいる東京のタワマンだけは絶対にもらいたいと言っている。公正証書、もしくは遺言状を作成したらしいが、今の民法では殆どが効力をなさないと聞いている。「戸籍上だけの夫婦」は、みんなが考えるより重いのだ。そして、子供がいる。男の子供は母親を苦しめた女に一銭も遺産が渡るのを面白く思うわけがないだろう。
本当にネタのような法廷闘争だった。
「失楽園」で主役の男女が「死」でラストを迎えるのは、「愛がマックスなうちに閉じ込めてしまいたい」と言うことなんだろうなと思う。それは分かる。
でも、それは「究極の愛」なのか。「究極の子供のわがまま」ではないか。
最初に読了した時、「死んでからも元配偶者や家族に大きな恥を晒しやがって」と言う感想を持った。
この「失楽園」は日経新聞に連載され、おじさん達から大人気だった小説である。ほとんどの読者は「普通の良い夫、父」であったろう。浮気しても深入りはしないで横領もしないで最後はうまく別れただろうと思う。
私は、渡辺淳一のファンだった。それも医療を題材にした初期の頃の小説のみ。
「恋愛小説家」としては、ファンではない。男の妄想を垂れ流しやがってとしか思わない。