不倫をして家庭をぶっ壊し、男に走った知人がいる。知人じゃないな。本当は親友。
「愛」があるとかないとか、彼女はよく言っていた。お約束通り不倫相手の奥さんの悪口を今も言っている。
現在、不倫相手と彼女は暮らしていて、奥さんは別れないと粘っている。気がつけば、この騒動は20年近くになる。
みんな歳をとって、離婚協議はお金の条件のみになっている。まだまだ、決着がつきそうもない。
最近の彼女から「愛」と言う言葉は聞かない。
私は彼女よりたちの悪い女で「愛してる」とか「愛されている」のような言葉は口に出すことはほとんどない。
楽しいのは最初だけ。
「愛」と言う言葉は口に出した途端に軽くなると思っている。
漫画を描いていてネーム作業中にセリフを考えている時もセリフには使わない言葉だ。照れ臭いんじゃなくて嘘くさいからだ。日本人に合わない。外国人の友人夫婦のI love youの連発は文化だと思っている。
そして、愛とセットになっていると考えられている性。SEXは、一言で言えば生殖行為だ。快楽の追求という側面を持ち、卑しい人間は生殖年齢を過ぎてもする。
なぜ、女は愛しているからSEXしたと言い訳をする方が多いのだろう。
つまんないから、新しい男としてみたではいけないのか。楽しんではいけないのか。病気のリスクをマスコミで脅し過ぎだとおもっている。
SEXについて、女には「愛している人としかしないもの」男には「遊び、接待にも付いてくるもの」この男女の乖離はなんだ。
私のように「愛至上主義者」でない女は、女から呆れられ諭されたりする。
めちゃくちゃなことをしてきたわけではないが「愛しているから」という理由で自分の家庭を壊したり不倫相手と一緒になろうなどと考えたことは全くない。
「長い恋愛」のうちの一つ。別れた原因は向こうが結婚したがり始めたからだ。
もう、結婚はしたくない。
つまらないどころか、めんどくさい不幸が待っているのが見えていた。
自分から別れを切り出すのは罪悪感が付きまとう。別れるプロセスでミスればストーカー化したりもする。
SEXしても所有されたわけじゃない。
私は私だけのもの。
この考えをいつから持つようになったのか思い出せない。ずっと昔は、もっと「頭の中はお花畑」だった気がするのだが。
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