朝っぱらから、創作資料の印刷に取り掛かろうと思っていたら、プリンター様がご機嫌斜め。
宥めすかしても動いてくれない。
仕方なく取説を探しに、仕方なく汚部屋の片付けをしていた。
そしたら、中国、韓国、マレーシアの札を発見!
え?なんで、マレーシア?なんで、韓国?という疑問。
彼奴は上海で仕事をしていたはず。。。。。
パスポートを失くしたと私に泣きの電話を入れてきたはず。。。。
問い詰めたくても相手は「死人に口なし」である。
夫婦でも知らないことがあった方がいい。
私も彼奴が知らない秘密を抱えて生きてきた。
彼奴にも別口座があった。私にも別口座があった。
私が知っている彼奴は、優秀な技術者だった。海外出張も少なからずあった。
アメリカとは縁が深かった。仕事で、シカゴに長いこと行っていたこともある。
絶望的に英語ができなかった。院卒なのに。いつも通役のお世話になっていた。
本当に頭がよかった。彼奴がいなくなっても、彼奴の取った数々の特許は、多分、みんなの暮らしに役立っていると思う。
その夫の書斎が今の私の汚部屋である。
まだ、クロゼットには数式だらけの機械工学の本が詰まっている。
私は夫が死んでから泣いてはいない。涙は込み上げてくるけれど、泣いてはいない。
「愛していた」なんて言葉では言えないほど、彼は私の大切な存在だった。
喧嘩ばかりしていた。それも思想信条について喧嘩をしていた。家庭は論議の場だった。
そんなに頭がいい彼が、若年性アルツハイマーにかかるなんて皮肉な話だ。
彼が、あちら側に行って4年。今日の朝のエキサイトは、彼が「たまには私のことも思い出せよ!」と言っていたのかもしれない。
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