鍵穴ラビュリントス

狭く深く(?)オタク
内容は日々の戯言
イギリス、日本、リヒテンシュタイン、大好きです
プラトニックlove好き

②間人皇后(中皇女)

2013-01-23 08:00:30 | 万葉集
②同母の妹とできていた

読み方は、間人皇后(はしひとのおおきさき)・中皇女(なかつすめらみこと)です。

彼女は舒明天皇と斉明天皇(皇極天皇)の子であり、斉明天皇の弟である孝徳天皇の皇后にたちました。つまり彼女からしてみれば叔父さんと結婚しました。
でも、彼女は少女の頃から、兄・中大兄皇子との宿命的な恋愛に悩まされていました。
40歳を超えるまで中大兄皇子が皇太子でいたのも、それが一つの原因とされています。


難波宮から大和に遷都するかどうかで夫・孝徳天皇と兄・中大兄皇子が対立したとき、彼女は夫を見捨てて、兄と母とともに大和へ帰ってしまいました!

次の歌は、そのときに孝徳天皇が詠んだ歌です。
万葉集ではなく、「日本書紀」に載っているそうですが。


かなきつけわが飼ふ駒は引出せずわが飼ふ駒は人見つらむか
[作者]孝徳天皇

訳:(かなきとは、馬が逃げないように首にはめておく木のこと)
  私が厩(うまや)から引き出しもしないで大事に飼っておいた馬を、
  どうして他人が見たのであろう。

つまり、古文の「見る」には「男女の関係をもつ」という意味もあるので、

 私の愛しい皇后を、中大兄皇子が身も心も全部取っていってしまった、
 なんでだよーこのくそ!

っていうことです。
このあと難波宮で孝徳天皇は崩御し、斉明天皇に(実質的には中大兄皇子に)と政権はうつります。



ちなみに、①で説明しておいた有馬皇子が紀州へ護送されるときに、間人皇后はこの義理の息子に付き添っていった、という説があります。
そのとき詠んだ歌であろう歌を一首。


吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾

わが欲りし野島は見せつ底深き阿胡根(あごね)の浦の珠ぞ拾はぬ
[作者]中皇女

訳:私が見たいと思っていた野島は見ることができました。しかし美しい阿古根の浦の真珠はまだ拾っておりません。


その真珠とは有馬皇子の命――と考えられます。
中皇女とたいして歳も違わなかったであろう有馬皇子を想う、優しさとさびしさが溢れている歌ですね。