
総選挙の争点6 驚き・桃の木・片山さつきの憲法解説 やはり安倍自民党は徴兵制を目論んでいる
前回は緊急事態宣言が出された場合に、国民の「小さな人権」なぞ踏み躙られてしまうという恐ろしさを見ました。
安倍自民党の「日本国憲法改正草案」の恐怖1 緊急事態条項=戒厳令の明記
今回は、緊急事態でなく普段でも、基本的人権の保障は風前の灯だということを見たいと思います。今回もこの改憲案を作った磯崎陽輔氏(自民党憲法改正推進本部起草委員会事務局長)のホームページ「日本国憲法改正草案解説」(以下「解説」と表記)、自民党「日本国憲法改正草案Q&A 以下Q&A」以下「Q&A」と表記)を参考にしていきたいと思います。
今回は自由と人権規定について。
総選挙の争点7 安倍自民党の「憲法改正」案なら基本的人権の保障は大日本帝国憲法に逆戻りする
1 基本的人権保障の基本的な理解の転換
日本国憲法
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
自民党草案
第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
ご覧のように自民党草案では「現在及び将来の国民に与えられる」を削除しています。この理由を自民党の「Q&A3p、14p、磯崎解説5p」では、「天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直した。」「西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われる規定を改定する。」としています。
しかし、天賦人権説とは、人は生まれながらにして最高の価値を持ち、自由と人権を共有していているという、近代憲法の根幹をなす考え方です。その全面的見直しは、国家観に関わる決定的に重要な問題であり、近代立憲主義憲法の正統な系譜から離脱することになります。たぶん、自民党はそこまで深く考えもせずに、立憲主義憲法をいじってしまっているのでしょう。
これは、現憲法97条の全面削除もその一環です。日本国憲法の「最高法規」の章の冒頭に、基本的人権の本質に関する97条が置かれている意味について、憲法学者は
「その位置を誤ったものと解する見解があるが、そのように解すべきではなく、むしろ、それは、日本国憲法の最高法規性の実質的根拠が何より基本的人権の保障の徹底にあることを明確にしようとする趣旨」(「日本国憲法論」佐藤幸治p25)
と考えています。自由と人権を保障する自由の基礎法たる立憲主義憲法の本質を理解しない自民党の憲法案は笑止千万です。
また細かいことですが、基本的人権の享有を「妨げられない」となっている現行憲法の文言が、「享有する」と変えられていますが、これも、国家からの自由という人権の本質を理解しなかったが故だと思われます。
さらには、憲法の最高価値とされる個人の尊厳も自民党が削除してしまいました。
2 個人の尊厳の削除
現行憲法
第十三条前段 すべて国民は、個人として尊重される。
自民党草案
(人としての尊重等)
第十三条前段 全て国民は、人として尊重される。
ごらんのように、自民党草案13条前段は「個人として尊重」を削除して、人として尊重にしてしまいました。その改正理由は「個人として尊重」は個人主義を助長してきた嫌いがあるので改める、というのです(同上)。
しかし、「個人として尊重」するという個人の尊厳の理念は、一人ひとりの人間が人格的自律の存在として最大限に尊重されなければならないことを意味します。つまり、各人が自分のことは自分で決められる自律的存在として自己の幸福を追求して懸命に生きる姿に本質的価値を認め、その価値を最大限尊重しつつ人の共生を可能とするような社会・国家の構成のあり方を考えようとする理論なのです。
憲法学では、そのような見地から、各人には基本的な権利が保障されていると想定しています。この理論は、97条にも示唆されているように、近代人権宣言への共感に根ざしつつ、その後の人類の歴史を踏まえたものです(「日本国憲法論」佐藤幸治p121)
これに対して、「人の尊重」が意味するのは、「聖徳太子以来の我が国の徳性」である「和の精神」をもった「他人に迷惑をかけない人」の尊重であり、大事な道徳ですが、法的には当たり前のことであり消極的な意味しかありません。
もともと特別なオンリーワン!「世界に一つだけの花」は日本国憲法の最高価値「個人の尊厳」を謳っている
日本国憲法論 (法学叢書 7) [単行本]佐藤 幸治 (著)
3 「公益及び公の秩序」による基本的人権の大幅な制限
現行憲法
12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
13条後段
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
12条
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
13条後段
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
現行憲法の「公共の福祉」が自民党草案13条「公益及び公の秩序に反しない限り、…最大限に尊重」になっています。公という字がかぶっていますし、あまり変わりがないように一見見えますが、これが今回の自民草案の最も危ない個所の一つになっています。
自民党は改正理由として、こう説明しています。
「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいもの。そのため、学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されている。
憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした。
「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味する。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは当然のこと。そのことを明示的に規定、としています(以上、Q&A14p、自民解説5p)。
しかし、公共の福祉と言っても、公の秩序などと言っても、字面から意味がすぐに分からないことは同じです。
そもそも、今の憲法学では、公共の福祉は、本質的に個人の基本的人権と対立する実体的な多数者ないし全体の利益を意味するものではなく、「公共の福祉」の内容としてまず考えられるのは、基本的人権相互の矛盾・衝突を公平に調整するという消極目的のための最小限の秩序であると考えられています(「日本国憲法論」佐藤幸治著134p)。
たとえば、他人の名誉権やプライバシー権と両立する形で表現の自由は保障されているとか、工場は自分の財産だから財産権として保障されるが公害で他人の健康や生命を脅かしてはならない、というような権利同士の調整の原理を公共の福祉というのです。
逆に言うと、他人の人権が侵害されない場面ではある人の人権を制約することは許されません。
ところが、公の秩序だの公益だのを持ってくると、他人は迷惑を実質的には受けていないのに、人権の行使を制約することが認められてしまうのです。そして、Q&Aの改正理由からは、従来の人権制約根拠についての理解、人権の性格、内容から見た合憲性審査基準とはまったく異なった「公益」という抽象的な理由による人権制約を肯定することになってしまいます。これは非常に危険です。
天賦人権説を変更するとの説明と併せて考えれば、自民党は明治憲法の国が与えた人権に過ぎないという「国賦人権」思想に立脚して、法律があれば人権は制約できるという法律の留保が付された人権保障と同様な内容を狙っているのです。
つまり、人権は生まれながらにして人が人たるがゆえにもっているものと考えず、国が憲法で与えたものと考えるので、そこに公の秩序や公益に常に反してはならないという保留をつけることで、国会の作った法律は多数が決めたことなのだから公益だなどとして、法律の範囲内でしか人権が保障されないという、本末転倒なことになるのです。
総選挙の争点5 安倍自民党のトンデモ改憲案は大日本帝国憲法より醜い封建主義憲法です
自民党のトンデモ改憲原案はもはや「憲法」とは言えない この国にはまともな政党はないのか
あと、気になるところとして、以下のようなものがありますが、なんといっても個人の尊厳を削除したことと、公共の福祉を公の秩序及び公益にしてしまったインパクトは絶大です。
皆さんはせっかく天から与えられた自由と権利を、こうもたやすく手放してしまうのでしょうか。
4 義務規定を多数新設
国旗及び国家尊重義務(草案3条2項)、領土・資源確保義務(草案9条の3)、個人情報不当取得等禁止義務(草案19条の2)、家族の助け合う義務(草案24条1項)、環境保全義務(草案25条の2)、地方自治に関する負担義務(草案92条2項)、緊急事態指示服従義務(99条3項)など
5 政教分離規定の緩和(草案20条3項)
靖国神社への公式参拝が合憲とできる。
6 「公益・公の秩序を害することを目的とした」活動・結社の禁止(草案21条2項)
7 家族条項(草案24条1項)
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」
8 外国人の選挙権の禁止(草案15条3項)
9 公務員の労働基本権の制限を明文化(草案28条2項)
10 新しい人権をすべて権利とせず、国の責務としかしなかった
ご面倒でしょうが、小さな護憲運動とお考えいただき、
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税金で生かせてもらっているという自覚が全く欠如していますね。
それ以前に、自分が特権階級であると信じられるような封建的な教育も受けているのではないでしょうか。
人様の家の教育をとやかく言っても始まりませんが、最低限の憲法の常識は持っていてほしいです。
あくまで私流の解釈ですのであしからす。
外国人と親しくする人を反日と呼び、かつての「非国民」と同じようになってきています。
そんな了見の狭い国に外国人や外国企業は魅力を感じて来るでしょうか。
自民党の憲法案が通ろうものなら、社会はますます息苦しくなり、この国は急速に弱体化するのではないかと思います。
民主党の反動と一時の景気で自民党の言うことは何でも正しいみたいな雰囲気ですが、我々国民は冷静に長期的な視点で考えなければいけません。
民主党の長妻昭氏も、ブログで「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変わる危険性を主張しています。
長妻氏は確か先週のみのもんたの「サタずば」に出演したときにも、この問題点について発言していました。
自民党議員は「他人に迷惑をかけないのは当然」と反論しましたが、「それは公共の福祉の人権同士の衝突の調整で既にできている」と言い返してくれましたね。少しは憂さが晴れた気がします。
放送時間が少なかったこともあるでしょうけど、出演した改憲派の面子はこれに再反論はしづらい様子でしたね。
護憲派の議員さんたちには、9条よりもこういう問題点をどんどん突いていって欲しい。
手紙やメールでお願いしてもいいですな。
「安倍さんが改憲案に関して言われていたことで,私が覚えていること」を考え合わせてみると,やっぱりこの解釈とは整合がとれないように思えるからです。
彼曰く,(自民党の改憲案は)
*わかりにくい文言を,わかりやすい表現に言い換えた
→実際は『公共の福祉』を『公益の秩序』に変えており,同義の言い換えなんかでは決してないくせに,よう言うわ…
**(キリスト教徒である)米国人が書いた憲法草案ゆえに,(そういう宗教観を持たない)日本人にはわかりにくいと思える部分を削除した
→彼がこのような趣旨を発言した文脈を考えると,これが,たぶん『天賦』のところのことだと思うのです。
つまり天(におられる神)が,無条件に人間に与えて下さった(=天賦)『人権』,という考えに,彼は違和感を持っている。
日本にはそういう宗教観はない,だから不要だと。
でも野崎さんの解釈では「『自分よりも弱い立場の人の権利も天が付与したものだから、権力を持っているからと言って侵してはならない』という天賦人権説,をとるのは止めようというのが,私たち(=改憲案を作った片山さつきさんら)の基本的な考えです」という部分については否定されないわけですよね。
ということは,つまり「(権力者ばかりか)権力者より弱い立場にいる人の人権も,天が賦与したものだ」という天賦の部分については,否定されていないということになります。
でも,そうでしょうか?
私には,彼が「天賦の人権」という考え自体を否定しているように思えるのです。
彼が,天賦の意味を「生まれついて持っている」という意味ではなく,「神に与えられた」という意味だと理解し(=正確に理解されていないのではないかと),それゆえに宗教的と捕えているのではないか,という不安もあるのですが笑。
「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいもの。そのため、学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されている。
しかし消費税還元セール禁止特措法という、消費税に対する反骨精神を示すようで消費税の印象悪化につながりそうな「表現の自由」の抑圧に、すでに、「個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約の正当化」が透けてみえてますよね。
自民の言う「公の秩序」は、「自民の求める秩序」であったことが確定したようなものです。だまされないようにしたいものです。
消費税増税還元セール禁止が憲法違反というネタ、いただきました!
ありがとうございました。