笑顔の魔法

猫が読む聖書
天から愛猫が送ってくれるメッセージから書いていますニャン。

中秋の名月

2024-09-18 09:08:33 | 生き方
9月17日は中秋の異名月
18日は満月ハーベストムーンですニャン。


お月さまのお誘いで現代へ戻ってきましたニャン。
夕方のお空

お月さまガビルの真上に顔を出していましたニャン。


昇ったよ~


夕焼け見学

大きくて明るいおつきさま

大阪の夜空を照らしています。
この街に平和がありますように。
お月さまも祈ってくれてるニャン。



夜になると・・・
落ち着いて見えました。
ウサギさん、いますか~~~???

神さま、
美しいお月さまを見せてくださってありがとうございます。
地球の人々が
互いに愛し合える社会になりますように
祈りますニャン。
ニャーメン。

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かわくことがないみず

2024-09-14 10:22:22 | 生き方
2000年以上前のサマリアにつきましたニャン。


Oh!!
井戸がありますニャン。
あれは、井戸水を汲んでいたサマリヤの女の人。

もしもし・・・
あの~、皮膚病だった人で、
イエスさまがいやされた人はいまどこにいるのでしょう?

あら、あなたも主をご存知なの?

はいニャン♪

私のことを言い当てたかたなのよ!
あの方は主だわ。

あの~~~

あら、ごめんなさいね。
彼は主の後を着いて行っちゃったのよ。
お弟子さんにはなれなくても、
なにかのお役に立ちたいって言って、着いていったわ。
もう・・・
嬉しそうな笑顔がキラキラしててとても素敵だったわよ。


わあ~~~そうだったのニャんね?
良かったニャンね~。

私もね、お手伝いしているのよ。
みんなに、神の子が本当にこられたことを言い続けているのよ。
信じない人もいるけど、
みたから信じるものではないのよね、神さまって。

そうなんですね。
あなたのこと、ボクも知っていますニャン。
聖書に記録されているニャン。
過去や人の目を気にしなくなった人ですニャんね?


そうよ、主がおられることを何よりも嬉しく思って感謝しているわ。
だって、
生きてるうちに主に出会えて、
この主はわたしのすべてをご存知だったのよ。
誰もいない時間に人目を忍んで井戸水を汲んで
毎日隠れるように暮らしていた生活だったのよ。
人に後ろ指さされて・・・
生きるって簡単なことじゃないのよね。
そんな私にとって主と出会えたことはもう最高の喜び。
人の目を気にしなくなったのよ。
この神さまがおられることを知ったことがずっと心も魂も平安でいられるの。
井戸水が永遠に乾くことのない生命の水に変えられたのよ。

うん、嬉しいよね。
良かったネ!!

私は死ぬまであの方のことを人々に伝えるわ。

天国に行ける喜びだね。
ボクも祈っているニャンね。
ありがとうニャン。

あの方のところに行くのね?

はいニャン。

じゃあね、シャローム!!

シャローム♪ニャン。



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いやされた人

2024-09-10 17:22:22 | 生き方
2000年以上前のことですニャン。

イエスさまはエルサレムに向かう途中で、
サマリアとガリラヤ地方を通られて
ある村にはいられましたニャン。
そこで十人の重い皮膚病の人に出会われましたニャン。

彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、 
「イエスさま、わたしたちをあわれんでください。」
と言いましたニャン。

重い皮膚病の人たちは、その当時は、らい病人と呼ばれていて、
人々との接触をすることはできませんでしたのニャン。


イエスは彼らをごらんになって、
「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。
そして、行く途中で彼らはきよめられた。
そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、
大声で神をほめたたえながら帰ってきて、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
これはサマリヤ人であった。
イエスは彼にむかって言われた、
「きよめられたのは、十人ではなかったか。
ほかの九人は、どこにいるのか。
神をほめたたえるために帰ってきたものは、
この他国人のほかにはいないのか」。
それから、その人に言われた、
「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

ルカによる福音書17: 11~19に
書かれていますニャン。

イエスさまは、いやされた人に、
あなたの信仰があなたを救ったのだとおしゃいますニャン。

サマリヤの人たちは、当時、移民であり、
ユダヤ人たちから嫌われていた人たちで、
宗教的にも差別されていた人たちでしたニャン。

病気で苦しむ人のそばでよりそう神、イエスさまは、
苦しみも悲しみも痛みも共にされれていますニャン。

みてるだけ~
祈ってるだけ~
なんて言うことはなさらないのですニャン。

神さまだから、最善!
なんでもできますニャン。

信仰を与えられて、
強く生きる人に変えられて、
他の人を励ますために、
亡くなるまで病気の人もいますニャン。

なぜなのにゃ~~~

神さまには神さまの方法があり、
いやすに時があり、
治すに時があるって、伝道の書に書かれていますニャン。
でも・・・
いやされたい!!
そう思うのは人間、誰でも一緒ニャ。

癒やされた10人のうち、
一人だけしか戻ってこなかった。
ホンモノの神さまがいるというのに!!

ここに神さまの信仰に生きる人と、
いやしだけを見ている人との違い、
つまり、
信仰のスタート地点にたった人との違いがありますニャン。

みんな、「あわれんでください」と言ってたのですニャン。

神はへりくだる者を愛される。
神は人のように、
うわべを見ないで、
人の内側を見られるのですニャン。

この人はそれからどうなったの???
気になったので、タイムスリップしてきますニャン。

続きはまた次回に・・・ニャン。
秋咲きのアサガオさんたちが咲いたよ~
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8月の満月

2024-08-19 08:22:22 | 生き方
8月の満月は20日の朝だそうですニャン。
SturgeonMoon 
スタージョンムーンとか、
スタージェンムーンとか呼ばれているそうですニャン。

アメリカ先住民がチョウザメの豊漁を願ってつけた名前。
 チョウザメという意味ニャンて。
キャビアで知られるお魚ニャン。

18日の夕方のお空ですニャン。

もう少し食べたらまんまる~

何を食べてるの?

神さまの愛ですニャン♪

17日のお月さま


18日の夕方のお空
薄っすらと夕暮れが迫る時間

暗くなったお空では、
雲さんとかくれんぼ中



手ブレ・・・ハートみたいにゃ。


地球から見て太陽と月が180度離れたときに満月になるそうですニャン。
神さまの素晴らしいご計画を見せられますニャン。

20日(火)午前3時26分
深夜なので、19日の夜、
20日の夜を楽しみに。

感謝して祈りを捧げましょうニャン。

お月さまに祈るのではなく、
お月さまをつくられた神さまに祈るのですニャン。
(何一つ、偶像を作らないようにしましょうニャン。)
ニャーメン



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ミラクルという毎日を

2024-08-17 10:22:22 | 生き方
日本のお盆は、ご先祖が返ってくると言われていますニャン。
還ってきた人に会えた人はいますか???

死んだ人のことについては、
イエスさまがこんなことを仰っていますニャン。

”わたしに従ってきなさい。
そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。
(マタイ8:23)”

お盆の風習は仏教からきているそうですニャン。
でも・・・
お釈迦様も含めて、死からよみがえった人は一人もいませんニャン。
歴史上、イエス・キリストさまのみですニャン。

かの熱心に旧約聖書医を学び、
実践しているユダヤ人たちも信じていませんのニャ。
ユダヤ人たちが信じないように復活の事実を隠したことが聖書に書かれていますニャン。


聖書の一つのキーポイントですニャン。
なぜユダヤ人がイエス・キリストを神と信じないのか???

”祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、
兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
万一このことが総督の耳にはいっても、
われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。
そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
(マタイ28:12~15)”

ここにも、今の政治家、権力者たちと同じように、
カネの問題がありますニャン。

人はお金に弱いのにゃ~。

イエスさまが十字架刑を受けて死んで3日目によみがえられたあと、
ユダヤ人のパウロはクリスチャンたちを見つけては処刑にしたり、苦しめたりしていましたニャン。
そんなパウロにイエス・キリストは現れて、
目からウロコ
の言葉の語源ですニャン。
ニャンと!
弟子とされましたニャン。
パウロの人生を180度変えて伝道者とされたのですニャン。

パウロは今度はユダ人たちからも迫害を受けるようになりましたニャン。
でも、聖霊によって強くされて、どんな迫害や虐待にあっても、
イエス・キリストは神であることを伝え続けたのですニャン。
新約聖書の使徒行伝以降、お読みくださいニャン。


イエスさまは神さまだから、
いつでもどこでも現れて弟子たちに道を示されましたニャン。

ドラえもんが持ってる「どこでもドア」ですニャン。

そして、みずから、こうおっしゃっていますニャン。

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。」
(ヨハネ11:25〜26)

神さまだから、何でもできるのですニャン。

では・・・
お釈迦様やブッダやマホメットや、
いろんな宗教の教祖となった人たちは嘘つき?
死んだ後はどこにいるの?

多くの教祖たちは、
それぞれに示された幻やミラクル体験をして宗教の教祖になっています。
イエス・キリストに結びつかなかった残念な体験かもしれませんニャン。
その方たちが亡くなったとき、
「あれはわたしだったのだよ」
と言われて気づくのかも???

宗教によって、生き方をその道に決めた人、
友人を得た人、
孤独から解放された人、
仲間を得た人、
ある程度の生き方を学んだ人、
色んな理由で救われたと思っている人、
神さまが忌み嫌われる偶像崇拝をしている人、
組織から抜け出せなくなって苦しんでいる人
・・・いろんな理由で宗教をしている人たちがいますニャン。

また、教祖を神さまだと勘違いして全財産を貢いだ人、
犯罪を犯した人もいますニャン。
高価な仏壇や神棚を買って祀っている人もいますニャン。


人はみんな罪人、
人はみんな弱い存在。
なにかにすがりたい。
心の拠り所を求めている存在ですニャン。

日本人は藁やお魚の頭でも信じる国民だそうですニャン。

魂の空間は、ハートの形をしていると思うの。
ママたんはよくそう言いますニャン。
イエスさまを信じた時、その空間がピタッと埋まる。
そうして、聖霊様が住んでくださる新しい命に変えられる。
すべての人類はそのように、はじめから創造されているのですニャン。

最終的に、
命のことについては、
創造主である神さまがお決めになることですニャン。
人が入る領域ではありませんニャン。

”イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
(ヨハネ11:25〜26)”

 イエスさまは、死んでよみがえられた神さまで、
過去も今も未来も、
自然顔も宇宙もすべてを支配されている神さまですニャン。

だから、祈ると、ミラクルが起きるのですか?

イエ~ス!

信じる人を神の子と同じ身分にしてくださり、
いやしを行って人を助けたり、
泣いている人の側にいて一緒に泣いてくださる神さまですニャン。

宗教との決定的な違いは、
「信じるものに永遠の命を与えてくださること」
ですニャン。

ママたんの両親は、救われた1997年のクリスマスイブ、
両親の結婚記念日に、
ママたんに電話をくれて、
「お前を生んでてよかった」
と感謝してくれましたニャン。

天国のチケットを与えられた喜びと感謝、
ホンモノの神さまを、生きてるうちに知った喜びと感謝、
父上の末期がんのいやしを受けた喜びと感謝・・・
数え切れない感謝と喜びを語ってくれましたニャン。

そして、天に還った時も、
ママたんに
両親と会話をさせてくださった神さまがおられますニャン。

死は終わりではなく、あたらしい霊の世界に還ること。
あたらしい霊の世界は、永遠のいのちの世界ですニャン。

古い肉体は、地上で100年も生きたら良い方で
平均70年から80年前後。

ノアの洪水、ノアの箱舟や、
契約の虹で知られるノアは950歳で死にましたニャン。


永遠の命の世界で、再び会える喜びを楽しみに、
今日、与えられている命を感謝して過ごしましょうニャン。
神さまの恵みと憐れみに感謝します。
ニャーメン。

この写真にネコを見つけた人は幸いですニャン。


三浦綾子さんの「光あるうちに」の本は、
こんな言葉で締めくくられていますニャン。

「教会へ行きませんか」
「今の生活を変えてみたいと思いませんか」
誘った人が、すべてキリストを受け入れるとは限らない。
態よく断わられ、あるいは軽蔑され、
嫌われるかもしれない。
が、わたしは、この章の最後に、敢えて今一度、
読者の一人ひとりに向かって呼びかけたい。
「かけがえのない、
そして繰り返すことのできない一生を、
キリストを信じてあなたも歩んでみませんか。
今までの生活が、
どんなに疲れ切った、
あるいは人に言えない恥ずかしい生活であっても、
または言いがたいほどに苦しく悲しい毎日であったにしても、
今、あなたの前に、
まだあなたの足跡が一つも印されていない純白の布のような道があるのです。過去はどんな歩み方であったにせよ、
自分の目の前に、足跡ひとつない道があり、
そこにどんな足跡を残していくかは、
自分の自由だということ、
そんなすばらしいことはないと思います。
過去はいいのです。
今からの一歩を、
あなたもキリストの愛の手に導かれて歩みたいとお思いにはなりませんか。
そしてあなたの人生を喜びに溢れた人生に変えたいとは、
お思いになりませんか。
そのことが、あなた自身にどんなにむずかしく見えても、
神が助けてくださるのです。
キリストはこう言っておられます。
「人にはできないことも、神にはできる」
と。
光あるうちに光の中を歩もうではないか。
(三浦綾子  光あるうちにより)



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