日本人は、ものにも命があるように思っている民族と言われますにゃん。
笑う人もいますが、事実、モノにはいのちが宿るのですニャン。
愛はすべてを覆い、愛によって生きるようになるニャン。
わたしは何にでも名前をつけますニャン。
ある時、自転車を買って名前をつけようとしましたニャン。
わたしが呼びかけると、自転車が「ちがう!わたしはリンネ」
と言いましたニャン
びっくりんこ!
以来、自転車に乗る時はいつも、リンネちゃん、よろしくねと声をかけて乗りますニャン。
快適に、坂道もスイスイ走ってくれる良きパートナーになっていますニャン。
自動車を買った時も、ディーラーさんに、車に名前をつけて会話をしていると話しましたにゃん。
ディーラーさんは、とても喜んでくださって
「〇〇さんの愛車になれて、車も喜んでいますね」
と言われましたニャン。
愛車は車でも自転車でも愛おしくて、いつも、鍵をかけるとき、ありがとうと言って離れますニャン。
すると、駐車場や駐輪場で、
またね~。
いいなあ~。
ほかの車や自転車の声が聴こえるのニャン。
神さまもこんな風に、光や闇、太陽、月、星、空、風、雲・・・
自然界をつくられて、よしとされていましたにゃん。
最初の人間アダムにあはらゆるものに、名前をつけさせられましたのにゃん。
すべてが良いものであったのですにゃん。
人間はどこかで神さまに背を向けて、神さまの愛をはきちがえてしまい、
今に至っていますニャン。
この罪を神さまは自ら十字架で背負われましたにゃん。
それでも人間は罪を犯し続けていますニャン。
神さまはそれでも待ち続けておられますニャン。
神に帰れと、自然界を使って教えておられますニャン。
傘を持っていないとき、降る雨にイエス・キリスト様の名前で祈ってみると、やんでくれたりしますニャン。
お花に話しかけると、最高に美しい開花を見れますニャン。
自然界と人間が仲良く共存できる社会には、神さまが願われている擬人化の喜びが生まれますニャン。
”被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
(ローマ8:19)”
ニャーメン
つるがカーネーションに絡んで、仲良くしようねって言っています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます