信玄公の願文にみる言葉の力、展示中!?

2021-11-18 16:25:26 | 紹介
先日の11月3日は、武田信玄公ご生誕500年の記念日でした✨

そこでご用意したのが、信玄公本陣さながらの「フォトスポット」📷

陽の当たりによっては、結構ドラマチック!?

武田軍守護の一翼が託された旗や陣幕に囲まれて、床几に座って「はい、チーズ✌」は古いかもしれませんが('◇')ゞ
いずれにしても、このフォトスポット、結構人気なんです。
お子さまはもちろん、大人の方も。中にはかっこよく自撮りされている方もお見掛けします😉

そして、皆さまの床几の前に置かれたのが「出陣の肴組(さかなぐみ)」

手前左のかわらけにはお酒を、その右にはうちあわび、その奥が勝ち栗、となりが昆布です。
出陣式にふさわしく、「打って、勝って、喜ぶ」の縁起担ぎの完成です。

「信玄全集末書」には、
うちあわびは、陰陽道の影響からか、九字を表すため縦に4つ、横に5つ、
「味方勝つ」という意味から、勝ち栗は半片を3つ(3片、みかた♬)、
昆布は大きなものを1切れ置く・・と当時の作法が記されています。

今の時代にも、こうした縁起担ぎの名残があって、その1例がおせち料理。
小魚を畑の肥料にしていた時があったことから、田づくりに五穀豊穣、
材料のカタクチイワシの稚魚をごまめ(五万米)、
黒豆に「まめまめしく、まじめに働く」、
栗きんとんに「金団」(金のお団子🍡✨)をあてて、豊かな1年、
鯛はめで「たい」などなど。

言葉には超自然的力が、もともとあるのか、私たちが発言することで、言葉に力が宿るのか。
コロンブスの卵のような話ですが・・、
いずれにしても、いつからか、人は、言葉には不思議な力があると感じるようになり、
とりわけ、超自然的な力を「言霊」(ことだま)と呼ぶようになり、
「言葉に出して表現した事柄は実現する」という考えに至ったのでしょう。

「言霊」という言葉が、いつから使われ始めたのか、はっきりしたことはわかっていませんが、
遅くとも、奈良時代に成立していた「万葉集」には、
言葉の力が「言霊、事霊」と記されるように。

ただ、どんな言葉も力を宿せるというワケでなく、
「言霊」を言葉に宿らせるためには、それなりの条件があったようで。

例えば「万葉集」の場合、
「言霊」という言葉の使用例から、「神+国」を背景にして使われる言葉だったのではないか、とか。

「言霊」を宿すことができる言葉と、そうでない言葉があり、
超自然的力を宿せる言葉とは、
人間の、表現せずにはいられない感性・感覚を言語化したものだったのではないか、とか。
とりわけ和歌という定型にこの情念の言葉を入れこんだ時、
読み手の内部で、そのやむにやまれぬ思いが消失するかわりに、
思いは言葉に乗り移り、言葉の中で生き続ける。
よって、その思いが、もはや読み手を苦しめることはない!?
ちょっとした厄払い、禊払いの印象をうけますが・・・

「古今和歌集」の仮名序における、紀貫之の言葉にも、それに通ずるものが。

実際、力も入れずに天地を動かし、目に見えない霊魂や神枝をしみじみと感じさせ、男女の仲をもやわらげ、
勇猛な武人の心をも和やかにさせるものは、歌なのである。

(「古今和歌集」笠間書院の訳より)

・・・
信玄公は和歌もたくさん残しましたが、願文もそれなりの数を奉じています。

信玄公が願文に込めた思い、願い、祈りは果たして言霊として昇華し、願いは実現されたのでしょうか・・・。

・・・
当館特別展示室では、テーマを「信玄公の信仰」と題し、
信玄公25歳の厄年に、長寿延命の神、多賀大社に奉げた願文をただいま展示中です。
(展示期間:11月29日(月)まで)

晴天に恵まれて青空の下で荘厳な社殿が映える多賀大社様です。
ぜひ、行かれるといいですよ。

12月、「信玄公の信仰」は後半に入り、不動明王像(甲府市大泉寺蔵)に加え、
もう一つ「武田信玄願文」(茅野市教育委員会管理・個人蔵)をご覧いただく予定です。
(展示期間:12月1日(水)~12月26日(日))

信玄公の祈りと願いの証拠品✨です。ぜひご覧ください。

多くの皆さまのお越しをお待ちしております🙇‍
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする