大型連休となった今年のゴールデンウィークは、各地の観光地は大混雑だったようですが、
新型コロナウイルス感染症規制緩和の雰囲気も手伝い、
久々にお出かけの方も多かったのではないでしょうか。
信玄ミュージアムも多くの方に足をお運びいただき、連日大賑わいでした。
大河ドラマも信玄公の見せ場とあって、その影響もプラスに働いたのでしょうか。
ちなみ、このブログ閲覧者数もグーンと伸びて単日の閲覧数は過去最高を記録しました。
今まで継続的にご覧いただいている方も、たまたま大河関係で閲覧いただいた方も
ご訪問いただき、ありがとうございました。
企画展で非公開の武田信玄公像をお借りしています、甲斐善光寺様周辺も賑わったようです。
相互割引サービスもしていますので、ご利用になられた方も多かったのでは
ないかと思います。
そんな甲斐善光寺お近くの「かいてらす」駐車場も夕方には静かに。
地場産業品を扱った「かいてらす」は、甲斐善光寺・富士山が一度に写真に収まる穴場。
ここも日中は買い物の方や善光寺参拝で混み合っていましたが、夕方にはニャンだけ・・・。
視線を感じたので、ご挨拶にニャーン、と声をかけるとすぐに近づいてきて、
足元をぐるぐるスリスリ。
そして、無防備に腹を見せてナデナデしてよと甘えてみたり。
信玄ミュージアムの母ニャンたちより人馴れしていてノラノラオーラ0
話を戻しまして、5月7日の放送では、信玄公の生涯でも会心の勝利であり、
家康にとって生涯最大の敗戦となった三方ヶ原の戦いが描かれました。
武田軍の動きはシンプルに浜松城を無視して西へ向かい、その先の三河国、
そして織田領の尾張国を狙う構えを見せる、というものでしたが、
松本潤さん演じる家康は、阿部寛さん演じる信玄公が仕掛けた罠にはまり、
窮地に陥ったのでした。
この時、信玄公が仕掛けた心理戦は、まさに「どうする家康」と決断を迫ったものでした。
いくつか理由は挙がりますが、
①浜松以東は武田の手に落ち、遠江出身家臣らの信頼と領地を失うわけにはいかない。
②徳川軍主力は三河出身者で、その家族や領地が危機に陥いる。
③浜名湖周辺の拠点を押さえれば浜松城は孤立して無力化される。
④三方ヶ原周辺の地形を知った上で、徳川軍にも勝機があるのではと思わせる。
⑤信長の援軍3,000を得て何もせずに見過ごし、尾張に入られると信長に合わせる顔がなく、面目を失う。
など、心理的な罠を仕掛けて誘い出した一戦だったと近年評価されています。
つまり、単純な進軍に見えて、実は選択肢は出陣しかない状況を作り出した、
と言う恐ろしい戦略でした。
そして、江戸期の記録ではありますが、武田軍は三方ヶ原台地に上ると、
追撃してくる徳川軍中央を突破するために魚鱗の陣を構えて待ち受け、
徳川軍は鶴翼の陣という迎撃用の陣形を敷いたと言われています。
数の上でも武田軍の方が倍近い兵力だったと言われていますので、
記述内容が実際に正しかったとすれば、武田軍は最初から家康が出陣してくることを
予想した上で、本陣を急襲しやすい陣形で待ち構えていたと言えます。
結果的に受け身になった徳川軍は短時間で敗走を余儀なくされ、
家康は援軍の将、平手氏をはじめ、多くの家臣を失いながら浜松城へ退却しました。
よく浜松城手前で急に進路を変えた、と言われますが、早いから浜松城は相手にせず、
家康を野戦に誘い出す、または籠城されても自落に追い込まれるよう最初から
周到に仕組まれた信玄公の深慮遠望の策だったと思われます。
まさに勝者は戦う前に勝ちを得た上で戦う、
という、孫子の兵法を見事に体現した一戦だったのではないでしょうか。