信玄公生誕500年特別展こぼれ話 大泉寺と「おほいづみといふ池」(その1)

2022-01-03 15:16:19 | 紹介
2021年度は、信玄公生誕500年記念の年でした。
11月3日に要害城でお生まれになり、27日には下山して館に入っています。
500年前のお正月は、まだ新しい躑躅が崎の館内で新年を迎えられたことでしょう!

そんなわけで、当館の特別展示室では、生誕記念日に引き続きまして特別展を開催中です。
展示は、8つのテーマを通して信玄公にアプローチ!
現在は、館での「信玄公のくらし」をテーマとしています。
真田宝物館所蔵「文琳之茶入」、大泉寺所蔵「疣磨茶臼」、個人所蔵「信玄公屋形之図」
3点が特別展に出展中。

年間通しての特別展に、信玄ミュージアムからも歩ける距離の大泉寺さんから
5月に「武田信玄画像」、そして、先月には「不動明王画像」をお借りさせていただきました。
現在は、疣磨茶臼(いぼまろちゃうす)をお借りしていまして、多大なご協力いただいております。



大泉寺と言えば、信玄公の父、信虎公の菩提寺。
今から502年前、信虎公は、現在武田神社の建つ地に、本拠地として躑躅が崎館を造営。
以降、館とその城下町における、寺社の創建が始まります。
いの一番に遷座されたのが、甲斐源氏の氏神・八幡神、そして館の鎮守・御崎明神。
そして、他の寺院に先駆けて創建されたのが、曹洞宗大泉寺。
信玄公がお生まれになった大永元年(1521)か大永2年頃のこと。
その住職を任されたのが信虎公の弟、吸江英心(きゅうこうえいしん)ということで、
武田家とは非常にゆかりの深いお寺様です。

信玄公の菩提寺は恵林寺(甲州市)で、このお寺は臨済宗ですが、
もともと、甲斐武田家と曹洞宗の関わりも深く。
例えば、甲府に移り住んだ翌永正17年(1520)、
信虎公はご自身の逆修(ぎゃくしゅ)(※1)の十三回忌法要を執り行っていますが、
その会場として選ばれたのが、曹洞宗の広厳院(笛吹市)。
大泉寺と共に甲斐国内の曹洞宗寺院を取り仕切った格式高い寺院です。
(※1)生きているうちに、自分の死後の冥福を祈り仏事を行うこと。

新たな本拠地で、一番最初に建設が始められた大泉寺。
生前の法要を営むくらいですから、やはり死はとても身近で、
菩提寺の準備も急がれたのかもしれません。

信虎公が武田家を率いた時代は、名だたる武将たちが各地で存在感を増しつつあったころ。
朝廷や幕府の権威がまだ有効であったとはいえ、独力で領土を統治し、また拡大していった時代。
殺生から逃れられない身として、座禅のように心を静かにする場が必要だったのかもしれません。
武家は禅宗を好むと言われますが、うなずけるところです。

新たな町に遷座、創建された寺社は30を越えます。
戦国時代の気候は、地球規模で見ると小氷河期だったとされていますが、
自然環境含め、ちょっと、今の私たちには想像がつかないくらいに厳しい日常、
加えていつ戦が起こり、巻き込まれるかわからない世の中、不安だったのは、お館さまだけではなかったはず。
民の心をつかむだけでなく、少しでも安らかにすることが、本当に必要だったのかもしれません。
また、現実問題として、領民からの税収もまた、戦と領土拡大に不可欠な財源でしたので。

そんな状況下、一番最初に建立された寺院が曹洞宗。
戦国期、曹洞宗は、その禅を大衆に浸透させることに心砕いた宗派です。
その手段が、公共事業や現世利益を中心とした社会貢献活動。
灌漑などによって土地の利用をすすめたり、湧水を見つけたり、住民に害を与える悪竜を鎮めたり。

そして、大泉寺にも残っているんです。泉の伝承が・・・。

少し長くなってしまいましたので、続きはまた今度。
お付き合いいただければ、幸いです🙇✨

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