信玄公好みのお茶室って・・?

2021-03-22 15:41:34 | イベント
首都圏に出されていた緊急事態宣言も解除されました。
まだまだ気を抜く段階ではありませんが、暖かくなれば、外に出たくなるもの🎶


新型コロナウイルスの感染拡大防止策のため、
「みんなでお花見!」は、今年もお預けかと思いますが、
春はやっぱり、お花見しながら、ちょっとお散歩、ちょっとピクニックが楽しい季節。

それは今だけの話じゃなく、戦国の世も同じだったに違いありません。
野掛けや狩りなどの途中で、休憩がてらちょっと一服🍵が、
野点(のだて)という、屋外で楽しむ茶会を生みました。
お茶を点てるためには、火をおこさなくてはなりません。この材料も現地調達。
そうした草木を燃やした時に立ち昇る、煙の香りは格別だった・・とか。

信玄公が生きた時代は、千利休が織田信長の茶堂となるなど、茶人として活躍する少し前。
この時差ゆえでしょうか。信玄公の茶の湯エピソード、あまり聞いたことがありません。

でも、中国や京の文化に、あこがれを強くもっていた信玄公です。
茶湯に造詣が深かったとしても不思議はありません。
実際、大泉寺(甲府市)には、信玄公愛用の茶臼と伝わる「疣麿」(いぼまろ)が残され、
武田氏館跡からも、茶臼片や、天目茶碗などが出土しています。
また、福阿弥、春阿弥という茶堂坊主頭衆、
さらに、寄子として同朋20名をかかえていたとも。
こうした同朋衆は、室町幕府にならってか、
唐物の鑑定と管理、芸能、そして茶事のこともつとめたと言います。

・・・
武田氏館跡から、甲斐善光寺の北側へ抜ける峠道があります。
途中にある「茶道峠」の北側に、信玄公の茶室(茶堂)があったと伝えられています。

信玄公はどんなお茶室を好まれたのでしょうか。
見てみたかったですね!

信玄ミュージアム
茶道峠付近

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