
2024年1月2日

松本城へは松本駅から一番近い、黒門側から入城します。

進むと早速、松本城の天守群と水堀が見えてきます。
この堀の水は湧き水。背景にも映る北アルプスなど、山々に囲まれた松本城は豊富な水が湧き出ているようです。

入り口の高麗門を進むとチケット売り場があります。

チケット売り場は大きな枡形になっていて、巨大な黒門が行く手を阻みます。

門の形状は渡櫓門。

黒光りした黒漆塗りの下見板。


そこから改修して元の姿に戻した技術は見事です。


ニ階には火縄銃などの展示物が多く展示されています。

竪格子窓。



内側から見た破風。間近で見ることができます。

最上階の天井。


下から見た月見櫓。

本丸跡からの一枚。

一の門。


太鼓門の鏡柱の脇には巨大な石垣が目を惹きます。
玄藩石と呼ばれていて22.5tもあるそうです。






ざるそば880円。

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新年の始まりは小諸城から始まり、続いて松本城にやってきました。
城好きなら誰もが知っている、現存12天守であり国宝です。
現存12天守とは江戸時代より前に作られた天守。
日本には2万5000〜5万近くの城があり、天守閣があった城は全国で170程と言われています。
その中で現存している天守は12城しか残っていないのです。
有名な大阪城や名古屋城は復元なのでこの現存天守には該当しません。
一国一城令、戊辰戦争、廃城令、第二次世界大戦。
いくつもの出来事によって、日本の城は姿を消してしまいました。
松本城がいかに貴重な城かお分かり頂けると思います。

松本城へは松本駅から一番近い、黒門側から入城します。

進むと早速、松本城の天守群と水堀が見えてきます。
この堀の水は湧き水。背景にも映る北アルプスなど、山々に囲まれた松本城は豊富な水が湧き出ているようです。

入り口の高麗門を進むとチケット売り場があります。

チケット売り場は大きな枡形になっていて、巨大な黒門が行く手を阻みます。

門の形状は渡櫓門。
復元の門ですが、こちらの黒門は設計図が残っていなかったので名古屋城を参考にして復元されました。
新年なので装飾されています。

黒門を抜けると本丸御殿跡に出ます。

黒門を抜けると本丸御殿跡に出ます。
本丸御殿跡内に管理事務所があり、御城印を購入することができます。
そして、奥には巨大な高層天守群!
そして、奥には巨大な高層天守群!
松本城は乾小天守、渡櫓、大天守、辰巳櫓、月見櫓の五つの建築物で構成された連立式天守です。
ちなみに、この五つの建築物全てが国宝に指定されています。

黒光りした黒漆塗りの下見板。
漆喰は湿気や水に弱いため、湿気が多い地域や雪が多い地域では建築物を保護するために使われました。
白漆喰の純白な城も素敵ですが、黒の城も威圧感があってカッコいい!


小さな穴は鉄砲狭間、縦細の穴は弓狭間。
敵が攻めてきた際、鉄砲と弓で入り口は防御体制が敷かれています。当然、角には石落としも設置されています。

右側が乾小天守、左側が大天守。その二つを繋ぐのが渡櫓。
渡櫓の下が入り口となっています。

松本城の大天守は五層六階。
天守の高さは29.4m、重量1000tもあるようで、昭和の大改修の前には土台の支持柱が腐食して自重に耐えきれず、天守は傾いていました。
そこから改修して元の姿に戻した技術は見事です。

入り口からニ階に上がります。
松本城では四階が一番急な階段で最大斜度61度。
階段中央に上りと下りを分離する手すりが無いので、狭い階段を行き交うのが恐怖でした。

ニ階には火縄銃などの展示物が多く展示されています。
天守閣に城主が住んでいると思われがちですが、城主は本丸などの御殿に住んでいました。
城に立てこもって戦う最後の戦法、籠城戦の際の軍事施設であり、最後の砦が天守の役割でした。
通常は武器庫として活用されていました。

竪格子窓。
鉄砲狭間だけでなく、こちらからも敵を狙えるように設計されていると考えられます。


二階からの乾小天守と渡櫓。天守群を目の前で見れるベストポイント。

やはり現存天守の内部は当時の技術を見ることができて魅力的です。
松本城ほどの木造高層建築物を維持していくのは、想像を超えて大変なことです。


内側から見た破風。間近で見ることができます。
破風があることで城は華麗になり、威厳がでます。

最上階の天井。
桔木構造という技術。
梁が井形に組まれています。
屋根の先端まで伸びる桔木を挟み込んでテコの原理を利用し、重たい瓦屋根の先端が下がらないように工夫されています。
屋根の先端まで伸びる桔木を挟み込んでテコの原理を利用し、重たい瓦屋根の先端が下がらないように工夫されています。
寺院で使われる技術を採用したようです。

大天守→辰巳櫓→月見櫓と連結しています。
写真は月見櫓。
乾小天守、大天守、渡櫓は1593年に築城。
辰巳櫓、月見櫓は1634年に増築。
戦国時代から平和な江戸時代へと移りゆく時代を見て取ることができます。
月見櫓は名前の通り、お月見をするための建築物なので、平和の象徴と言われています。

下から見た月見櫓。
軍事施設の大天守と、優雅な月見櫓が連立して迫力がすごい!

本丸跡からの一枚。
夕暮れ時の太陽が映し出す、山々と天守のシルエット。
後ろにはビルも何も無いので、この景色は約400年前と何も変わらないはず。

一の門。
こちらも門を抜けると巨大な枡形になっています。

先には太鼓門があります。
江戸時代は倉庫として使われていました。
明治に破却されましたが、平成4年に石垣を復元。平成11年には太鼓門が復元されました。
現在は耐震対策工事中。

太鼓門の鏡柱の脇には巨大な石垣が目を惹きます。
玄藩石と呼ばれていて22.5tもあるそうです。
よく城門の脇に大きな石が置かれています。
理由としては、これだけ大きな石を運ばせる事ができるという、権威の象徴だからです。


この立派な太鼓門を復元するために、発掘調査と復元作業で8年の歳月を要しました。


この立派な太鼓門を復元するために、発掘調査と復元作業で8年の歳月を要しました。
失うのは一瞬ですが、失われた歴史的建築物を復元するには大きな時間と予算が必要です。
それを実行している行政は素晴らしい。
それを実行している行政は素晴らしい。
行政の力なくして復元はあり得ません。


太鼓門を抜けると二の丸跡があります。

二の丸御殿の絵図。
部屋数50室、建坪600坪
松本城は1727年に火事によって本丸御殿が焼失した為、政務を行う場所は二の丸に移されたそうです。




見る角度によって、四季折々で全く違う顔を見せてくれる松本城。
どこを撮っても絵になります。
江戸時代の終わりと共に、侍の時代が終わり城は不要なものとなりました。
廃藩置県によって全国の城郭は売り払われたり取り壊され、松本城も門や櫓が壊されました。
天守は現代のお金で2350万円ほどで個人に売却されました。
東京の新築一軒家の半分程の金額!
個人に売却された城の末路は、ほぼ壊さたようです。やはり大きな建築物は維持するのが大変だからですね。
当時の副戸長がみすみす壊される松本城を憂い募金などを募り、買い戻しに成功したことで松本城の天守は売却と破却を免れ現在まで残り続けています。
市民の力で守った城は、今では国の宝としてこれからも保存されていきます。
また、季節を変えて来たいと思います。
城×食事
和食処たかぎ
松本城から激近の信州そば店。

ざるそば880円。
超細切りの信州そば。

鰻丼セットは驚きの1600円。

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創業140年以上の超老舗は値段も安く大満足!
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