レミのソラ

ピアニスト/作曲家 知野礼美のブログ。
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地震→停電→洗髪→発熱

2011-03-14 21:43:08 | 日記・エッセイ・コラム
11日2時46分に起きた大地震。
凄まじい揺れでした。私はK君のレッスン中でした。
突如ふたりの携帯から聞いた事もないようなけたたましい警報音が鳴り、地震を知らせるメール。わずか何十秒かで揺れが始まりました。夫は家が安全だと一歩も外に出ようとしません。私はK君に何かあってはご両親に申し訳が立たないという思いで、夫を置いて外に避難。道路に出てたら立っていられないくらいのぐらぐら。思わずK君にすがりつくレミ。うわーん、怖いよう!!そうだ、近くの小学校にみんな避難してるにちがいない。グランドまで行ってみると、子どもたちが整列してる。見守る大人たち。K君「この人たち、みんな子どもを迎えにきたお母さんたちですよ。」確かにみんな若い女性ばかり。この近所の年寄りは家の中でじっと恐怖と闘っていたのでしょうか?
家に戻り、余震がおさまったかと思われる頃合いでK君を見送り、停電していることに気がつく。ああ、コンピュータ大丈夫かな、それより電気釜のご飯でおにぎり作っておこう。それから買い物だ。私は近くのコンビニに出かけた。2軒目で空いてるところ見つけ、薄暗い店内に入るともう買い物客でごった返してる。地震で動揺したのか、みんなとにかく手当たり次第カゴに入れ、なぜか動いてるレジを打つ店員は呼吸してないくらい高速で作業してる。ワタクシも、家に帰って袋の中みたら「浅漬け/キムチ/カニカマ/オランダせんべい/納豆/なんちゃらシェフのスパゲッティナポリタン(電子レンジ専用)/リポビタンD3本」完全に動転してます。
その夜。我が家族3人はクリスマスキャンドル(赤くてうねうねしたやつ/姑が大切に保管してた)を囲み、おにぎりとカニカマで夕食。幸い我が家には薪ストーブがあるので暖かい。久しぶりに3人での家族団欒。しかし余震はひっきりなしにやってくる。
一夜明け。
連日の徹夜作業も終わろうとしてた矢先だったが、この停電で楽譜も音源も作れない。だけど少しでもさっぱりしたいと、瞬間湯沸かし器でシャンプーした。ついでに体も拭いて、キレイな気分で市民会館に行ってみた。
あらら、まだここも停電中でした。しかも副館長が自ら炊き出しをしている。レミは単3電池2本分の電気をお借りして携帯に充電し、ガソリン探しの旅に出た。ない、ない、どこもない。空いてるところはどこも長蛇の列。諦めて家に戻ると、姑が生協で3時間並んで食料品買って帰ってきた。「◯町◯丁目は電気ついたって、レミさんの実家の方じゃない?」ヘンな悪寒に震えながら実家に行くと「そうなの!朝9時に電気ついて、すぐお風呂湧かして入っちゃった~。」ええ~ウチと実家は目と鼻の先だから、教えてくれたら寒い思いしてシャンプーしなかったのに。
しかし平穏な両親に会って安心した。家に戻り、また蝋燭囲んで夕食かと思った瞬間、電気がついた!テレビ、蛍光灯、ファンヒーター、一気に全てが戻ってきた。やった!そうだ、近くのガソリンスタンドに行ってみよう。
そこにはすでに数台の車が給油していた。レミは4台分待っただけで、満タンで給油出来た。
何だか疲労感と達成感で体の節々が痛い。熱計ってみると39℃。おいおいおい。電気ついたんだから仕事終わさなきゃいけないのに。根性ふりしぼって朝3時半に楽譜と音源完成。
さて、それを送る手段だ。メール便速達受け付けてくれるコンビニ捜して発送したが怪しいもんだ。
今日になって。
無理がたたって熱も下がらず、心細さもあり、仙台の友だちの安否が心配で、もしなにかあったらどうしようとグーグルの消息不明者リストに載せたり、彼の実家の電話番号捜したりしてたら、本人からメールきた。大丈夫?への返信が「うん、なんとか」なんとかで十分!ほっとした!
山形は災害の地とさほど離れてないのに、家も水道も今は電気もある。
被災地では何日も水も食料もままならない状況が続いているのに、レミは頭くさいの我慢できなくてシャンプーして風邪ひいた。まったく自分の浅はかさったら、反省してます。