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転勤

2012-03-02 23:03:00 | 日常生活
今日の機関会議で、私たちの部署の異動が発表された。
私は、現在の遠賀郡や中間市の支部から、地元に決まった。

打診があったとき、家族にも内緒にしていた。
最初に話したのは、身近にいる人だが、家族でも職場関係でも何でもない人だった。

異動の打診は、1月にあった。
「りあらさん、異動になるよ」
「え?」
「近くになるよ。よかったね。ここ、3年間いたからね」
「はい」

その日、帰りの車内で、いろんな思いがこみ上げて、涙があふれた。
職場が近くなるうれしさと同時に、ようやく慣れて楽しくなった今の職場に、いや、今の同僚と別れるのがつらかったのだ。

3年前、活動組合員から、就職して今の職場に赴いた。
慣れない通勤と新しい環境で、かなり負担も多かった。

でも・・・。

仕事や通勤もだが、なにより私は、当時の人間関係になじめなくて非常につらい思いをした。
自分の仕事に没頭しているときだけが、幸せだった。
一番年齢も若く、前年度からのメンバーに私だけがポツンと入ってきた状態。
すでにできあがった人間関係の中、とても新しく入れるような雰囲気もなく、かなり孤独だった。

もちろん、私にもたくさんの非はあったし、だめな部分も多かった。
誰にも心を開けず、どんどん精神的に追い詰められていった。

夏、つらくてつらくて、もう自分でどうしたらいいかわからないまでになった。
母の還暦のお祝いも、自分のことで手一杯だったので。、とても回らなくなり、母から相当に怒られた。
家にも居場所なんてなかった。
ただ、ブログだけは書き続けていこうと、ひたすら文章だけは書き綴った。

そんなとき、紫子さんからメールをいただいた。
本当に、本当にうれしかった。
ブログの友人、momomamaさん、ならやまさんも心配してくれた。

もう本当にだめだ・・・。
そう思ったときだった。

交通事故に遭った。
土砂降りの雨の中、追突された。
数日後、友人の子供さんが病気で亡くなった。
こんなにつらい葬儀は初めてだった。

事故に遭った時、自分が生きていることが恨めしかった。
でも、生きなきゃと思った。
こんな状態で終わりたくない・・・でも・・・なんで・・・いろんな思いが頭をよぎった。
数日後の葬儀で、なんでこの子が亡くなるんだろう、友人がなんでこんな思いをしているんだろうと、いたたまれなかった。
私が生きているのには、絶対に意味がある・・・。

長い事故治療が始まった。
先生方、本当にありがとう。

夏休みは夏休みで、泣く娘を引っ張って学童に連れて行き、出勤する毎日。
秋は秋で多忙を極め、帰宅が毎日19時半を回る日々だった。
獅子舞の練習や運動会、仕事も土曜日にお祭りがあったりと、めまぐるしい日々が過ぎていった。

でも・・・やっぱり、慣れることなくて・・・あの人の輪に入れなくて・・・。
それでも、仕事だけは続けよう、とりあえず一年は我慢しよう・・・それだけで踏ん張った。

冬。
飯塚は大雪なのに、遠賀は積雪なし。
試食や会議の資料がたくさん入った荷物を抱えてJRに乗り込んだこともあった。
足を取られて、ふらふらだった。
通勤時間に往復5時間かかったこともあった。

何度も冷たい言葉を浴びせられた。
言い返さなかった。
同じ穴の狢になりたくなかった。

二年目。
半分入れ替わった。
一番大変なところの担当になった。
家庭もぼろぼろだった。
年度明けても、なんにもかわってないじゃないか?
これじゃいかん!と、またもがきだした。
夫は冷たかった。
もう、こんな男いらんと、本気で思った。

ゴールデンウィーク、とうとう私が出て行った・・・。

きんちゃん、マコちゃん、ゆんちゃん、ミッキーさん、さくちゃんさん、紫子さん、みんなみんな心配かけた。

この年は、ずっとお世話になっていた人が上司になったので、家庭のことも含めて、すべてぶちまけた。
6月、半月ほど休みをもらった。

そのときだった。
低体温と排卵痛で倒れた。
今まで張り詰めていたものが、プツっと切れたのだ。
婦人科通いが始まった。

仕事は・・・。
一番大変だったところだったが、ひたすらそれに集中した。
担当していた彼女たちに全力で寄り添い、何年も選出できなかった委員長をようやく選出できた。
昨年の総会は、堂々とした彼女たちの姿に、私は泣きそうになった。

そして・・・。
人数も減った三年目。
一番の古株になった。

「わからないことは、りあらさんに聞いたらいい」と、言われるまでになった。

もちろん、その言葉に傲ることなく、懸命に仕事はこなした。
相変わらず職場は遠いし、受け持った担当であちこち出張にも行ったが、大変だったが苦にはならなかった。

仲間に恵まれた。
たくさん笑った。
なんでも言えた。
心も開けた。

これが、本来の私なんだなと思った。

今が楽しいのは、たくさん泣いたからだろう。
苦労じゃなさそうな苦労話を並べ立てて自分に酔ってるんじゃないの?と、思われてもいい。
だって、この経験があったから、今がある。
あのとき、つらくてもやめなくてよかった。
「ほ~ら。やっぱり」と、後ろ指を指されたくなかった。
もちろん、やめてから、全く新しい道を選択することも考えた。
でも、結果的には踏みとどまったんだ。

今月最終週から、異動になる。
片道35kmの通勤距離も、片道1時間の通勤時間も、今の四分の一になる。

近くなったから、大変なことや思いがけずにつらいこともあるだろう。
でも、今までやれたんだもの。
大丈夫だよ。

残り少ない日々、私は精一杯仕事をし、笑顔でさよならしたい。

また会える日まで。





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2 コメント

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Unknown (ならやま)
2012-03-07 17:27:57
お疲れ様です。 名前が出ちょったき、
通り過ぎしきらんかったよー。{カエル}

もう少しで、地元に転勤になられるんですね。
せっかく親しくなれた方たちとお別れするのは、寂しいかもしれませんが、
通勤時間のことを考えると近くにいるほうが、
お子さん達のためにも気が楽になると思います。

いろんなことがあった事、私なんか、断片的にしか
わからないけれどでも乗り越えてきたし、続けてこれたことは、皆知ってるからね。

りあらサンの流した涙は、無駄にはならん。泣いた数だけ
強くなったでしょう?
この勢いで、支部長ってあるのかな?、重役?まで
登りつめて下さい。 その職場がよりよくなるように。
あなたなら、やれそうと 思います。 {ピース}
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Unknown (りあら)
2012-03-08 08:17:56
>ならやまさん
ありがとうございます。
ようやく地元に帰ることになりました。

いろんなことがあった3年間ですが、決して無駄ではありませんでした。

本当につらくて、たまらないことも多かったですが、強くなれたと思います。

少しでも時間が取れたらいいな。
通勤の疲労はハンパないですから。

地元故の大変さはあるでしょうが、しっかりやっていきたいと思います。

またお会いしましょう!
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