松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

祇園シリーズの第3弾・・・≪かにかくに≫の吉井勇の碑まで

2015年02月04日 17時36分55秒 | 日記

 

《一力の前を通って、四条通りを少し西へ行くと『切通し』、これを北へ上がると、【金星】と言う昔よく行ったお店が》

この切通しの北の突き当たりが辰巳天神、テレビ映画の撮影のメッカです

何時もは気が付かなかった、お好み焼きのお店を巽橋の手前で見つけました

 

《我が家の愛車の名前と同じ【タント】イヤイヤこちらは平仮名で≪たんと≫、入ると懐かしい下駄箱がありました》

   

《下足札10番、何んか銭湯みたいですね、生ビールの向こうに美人のお客さん、定食のご飯が来たときにはビールが

 

《お好み焼きが来た時には、ビールは空っぽ、でも抜群に美味かったですよ》 エグザエルも来てましたよ》

 

《たんとさんを出ると右に巽橋、渡ると辰巳天神(辰巳大明神)、この左側を西に行きますと鴨川に出ます、途中に》

   

《この界隈は京洛の文化史にかかせない、祇園発祥の地である・・・・とあります、ゆっくり読んどうくれやす》

  

《吉井勇はんの『かにかくに・・・』の歌碑どす、竹久夢二も祇園に深い関わりがあります、エエとこどっせ~、お近いうちに

鴨川に出るまでに、縄手通りを横切りますと、ここへ、春は桜が綺麗ですよ

向こうに車が見えている通りが川端通りで、その横を鴨川が流れています

川端を南へ下がると、南座に出ます・・・がその手前に昔、北座があったとか

《北座跡ですよ、右向こうに加藤登紀子の店、≪キエフ≫が5階にあります》

 

《屋根なんか、北座を再現しています、その昔、南座と北座が向かい同士にあったんですね》

如何でしたか、昨日の節分に、祇園八坂神社から北座まで歩いた記録でした

最後までお付き合い頂いて、有難う御座いました

花見小路がチャイナタウンになる前に、是非お越し下さいね~

 

 

 

 

 


節分お化け・・・・・知っていますか???八坂神社からの続き!

2015年02月04日 09時38分58秒 | 日記

もう、今から30年以上も前の事ですよく行っていた居酒屋がありまして

名前はたしか・・・≪赤べこ≫やったと思います、・・・ここのお店で知りました

【お化け】をです・・・初めは何のことか分かりませんでした何で冬にお化け

お化けと言ったら・・・ヒュー・・ドロドロ・・と出て来るお化けやと思ってたから・・・・

チャーウンです(違うんです)、変装をする・・・の意味やったんです、節分の夜にね

最近、京都の祇園界隈から復活しだしたらしいのですが、あの頃は珍しくて

その≪赤べこ≫のマスターが女装・・・いわゆる女形に扮装するのです・・・

そして、店を早めに閉めて・・・祇園へ繰り出した事が今では懐かしいですね

因みに、この風習を調べてみましたら、京都・大阪を中心に、江戸時代末期から

盛んに行なわれていたようです、しかし昭和初期に町衆の行事としては廃れたとか

始まりは、民間の信仰からだとか・・・節分の夜に鬼がやって来るのをやり過ごす

その為に、変装をするようになった・・・・のが始まりではないか、と言うことです

節分とは、ただ季節の変わり目だけでなくて、旧暦では新しい年の始まる時期

方位神が居場所を変えるなど、何もかも世の中の秩序が変わっていく時季だった

福をもたらす存在がやって来る反面、鬼などの危害をもたらす存在もやって来る・・・

そこで行なわれる様になったのが、豆まき等の追儺儀式とこのお化けの儀式

一昨日と昨夜の二日間、祇園界隈ではお化けで賑わったことでしょう・・・・・

すんまへん昨日は昼しか行ってないので・・・・ネットからの写真です

 

 

《これは、昨年の写真ですが、昨日も夜まで花見小路に居ていたら、こんな写真が撮れたのにね~》

昨日、あれから八坂神社の石段を降りて、四条通りを真っ直ぐ行かないで、南へ下がって

弥栄小学校の裏へ抜けました、行き先は花見小路ですけど、

ちょっと何時もと違う方向から抜けていきました、取材の為

 

《東山通りを西に下がってきますと、有名なBAR(バー)祇園サンボアがあります、まだ一度も行ってません・・・

  

《この路地を抜けていくと、昨年5月12日に店だしをした茉莉佳ちゃんの≪つる居≫さん・・・向こうが花見小路です》

 

《花見小路を出て南に下がると甲部の歌舞練場があります、その横は、有名な場外馬券場【ウインズ京都】》

  

《上に映っている人達は全て・・・中国の観光客です・・・・、祇園の花見小路も今ではチャイナタウンになっています》

このあと、辰巳天神の方向へと行きますが・・・今回はここまで