それは、1月の29日に始まりました、(1月31日付ブログ)
それは、久し振りの「詩吟でこんにちは」と言って老人ホーム等への
訪問です、最初はもう40年ぐらい前でしょうか?船岡寮への訪問でした
《10年前の訪問を≪梅津富士園だより≫に掲載して下さいました、梅津富士園の名前を冠した詩を詠み色紙に書いて持参》
色んなホームに寄せて頂きました、でも前回、地元の梅津富士園を
訪問してから、ナント10年も過ぎてしまいました、その間一度も・・・
訪問出来ていませんでした、(反省の一言です)今回を再出発として
ドンドン訪問を続けて行きます、喜んで下さる事こそが我が喜びなのですから
もしも、このブログを見られて、我がホーム(施設)にもと希望される方は
お気軽にお申し付けて下さいませ、ソフトな詩吟で訪問させて頂きます
二つ目は、この日の(1月29日)の帰りに連絡が入り、元気だった小笹さんが
脳梗塞で入院との知らせ、翌日に田畑さんと小笹さんのお見舞いに・・・・・
『いや~!先生~』と喜んで下さったのに、5日後に死去されるとは・・・・
この二人、4軒ほど離れているだけのご近所、詩吟の時は何時も一緒
ところが、小笹さんが入院中に田畑さんが急死されたので、知らせてない状態
だから私も30日に見舞って、その後行けてません、と言うより行き辛いのです
一番の仲良しの ”死” を知らされずに入院されていて、田畑さんの死を知った時は・・・
色々な訪問という形があります、”詩吟でこんにちは” という慰問もあります
今回のような、入院のお見舞いという訪問もあります、『お元気ですか』との
家庭訪問をあります、あまり喜ばれないセールスの訪問、また被災地への訪問
まだまだ実現出来てない訪問があります、もっともっと・・・元気の交換(交歓)を
三つ目が、100歳の誕生日を3日前に入院した浜田さん、そこへ又、又電話・・・
泣き声だったので、田畑さんの死の知らせとわかりました、・・・・そして2日後
田畑さんの家に、通夜を前にしての、詩吟の身内だけのお別れの訪問、
名誉称号【松園】と書いた色紙を持参、そして皆んなで【金州城】の合吟をする
お弟子さんの稲澤さん(二回電話をくれた人)が吟じ終わったとき、
田畑松園さんの頬に涙が光っていたと感動的な報告が、訪問して良かった
この後は5日と8日のブログの通り、通夜と告別式(金州城の合吟)に訪問、
このブログを見られた家族の方が、感激されていたとの報告も入りました
この10日間での色んな訪問でしたが、全てに喜んで頂きました、そうそう・・・
7日には、浜田さんの100歳の誕生日訪問も(丸太町病院)ありました
あと一つ残っている心苦しい訪問、田畑さんの死を告げれない小笹さんへの訪問
明日にでも行きたいと思っています、・・・・でも私はすぐに、顔に出るんですよ!
涙が先に出る可能性もありますが、頑張ってポーカーフェイスで行って来ます