出久根達郎著のエッセイ集?「思い出そっくり」の中に
中卒の初任給の話が出てくる(御成婚)と云うのがある。
この作家、東京都杉並区で古書店を40年営んでいて
20年前「佃島ふたり書房」で直木賞を受賞している。
この御成婚の中で自分のことを書いていて、昭和34年
集団就職で上京し、月島の古本店に住み込みで就職
したと有り、その初任給が3000円でしかも、食と住は
主人もちだから高給だった、とある。
同じ集団就職の仲間は1500円から2000円だとか
《懐かしいトリスの広告》 《ダッコちゃんブーム》 《今は無い、いこいとゴールデンバット》
これを読んでいて、ふと!自分の初任給は?と云うのも私
この作家と同じ昭和34年中卒だから、私は昭和18年生まれ
出久根さんは19年、おそらく早生まれの同期生なのだろう
私の初任給は4500円?だったと思う、この本を読むまで
安月給やと、ずっと思ってきた、≪××紙工所≫さん御免なさい
たしか!高卒で7000円?ぐらいやったと・・・定かではないが
この頃一番のの楽しみは、映画に行く事で、洋画でも邦画でも
ポールニューマンから裕次郎まで、多い時は月に15本も見た
ある日曜日、朝一番に京宝でロードショー(150円)1本観て、
向かいにあった田園シネマで洋画3本立(55円)を観て、
帰って晩飯を済まして、近所の大宮東宝へ裕次郎を観て
一日が終わる、本当に楽しい良き時代であった。
歌謡曲が好きで・・(と言ってもカラオケはまだまだ先のこと)
三橋美智也が十八番でした、ひばりの車屋さんもその頃から!
詩吟の世界に首を突っ込むのは、8年もあとになります。
詩吟と言えば中国は唐の時代の漢詩に杜甫の「貧交行」がある
貧しい時の交わりの歌とでも言いますか・・初任給は?ありまへん!
手を翻せば雲となり手を覆せが雨 ≪管仲と鮑叔のイメージ画≫
紛紛たる軽薄何ぞ数うるに須いん
君見ずや管鮑貧時の交わりを
此の道今人棄てて土の如し
これは、杜甫41歳の頃の作品で、長安に出て6年
まだ正式に就職できず、苦労を重ねていた時代のもの
この後、戦火に巻き込まれ、妻や子と離れ離れ、有名な
「国破れて山河在り」で始まる、≪春望≫はそんな時の作品
さて、先程の初任給の昭和34年の話題と言えば
2月 8日 黒部トンネル開通
4月10日 皇太子・美智子さま御成婚
5月26日 第18回オリンピック、東京に決定
6月26日 天覧試合で長島さよならホームラン
7月24日 児島明子ミスユニバースに
9月26日 伊勢湾台風で死者・不明5000人以上
懐かしい思い出が初任給4500円に微笑を・・・・・
古き良き時代に・・・カン・・・パ~イ
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