きょうの、今日まで知りませんでした・・・亀山城が亀岡城に変名した事
その亀岡城がナ・ナント、宗教法人・大本教の本部になっていた事
昨日、何時もよく行く≪たわわ・朝霧≫に行ったので、何となく亀岡城に行ってみた
ちょっとだけ、豆知識程度、ネットで調べたのですが・・・まあ行ったら分るやろ~と
体験者の写した写真を記憶して行きました・・・・・先ずココから入りました
《立ち入り禁止の立て札も無いので、勝手に入って行きました、ドンドン奥へと(一人やで~)・・・ちょっと不安やね~》
《暫らく行くと、右側の広い敷地の中に石碑が現れましたが、誰のものなのか、何も表示が無いので分かりまへん石碑の訳です》
《この奥にも行ったのですが、城跡らしきものが無かったので、引返しますと、大きな建物が彼方此方に、もちろん全て大本教》
《萩が咲いている道を、更に奥へと歩みを進めますと・・・・・関係者以外はご遠慮下さいの立て札が、きっとこの奥に亀山城址が》
泣きの涙で引き返しました、何も知らない私は、大本教に乗っ取られたと勘違い
でも、そんな気持に成りまっせ、亀山城跡(亀岡城)の表示が何処にも無かった
私は特に今回は、大本本部へ申し込みもせずに無断で入ったからアカンかったんですけど
帰ってから改めて調べてみますと、明治の初めまで亀山城が建っていたのですが
その後、廃城令によって、取り壊しになるのですって、それから所有者が転々として
大本教が買い取るのです、だから亀山城址は大本教の所有なんですよ~
でも、自由に見学できないのは残念ですね~、明智光秀もオロオロしてるのでは
ここまで、明智光秀に力を入れている亀岡市なら、大本教に交渉して
もっと自由に入れて、城跡の上まで行ける様にしたらどうかと思う
そして、表示も何も無いので、もっとひと目でわかる様にしないと・・・
ここ亀山城から本能寺に出陣した歴史的な場所なんですから・・・何とかセイヨ・・・亀岡市
先程の泣きの涙で引き返した場所に戻ります (すんまへんな~行ったり来りで)
戻りかけると、先程の萩の花の処で、黄色い蝶が飛んでいました・・・
ああ・・光秀がやってきたと思いました、 桔梗の紋の上を取るとまさしく蝶ちょ
ここに黄色い蝶が 飛んでるでしょう 暫らくして飛び疲れたのか 私の目の前の枝に止まりました
その時携帯電話がなり始めまして、家内から 『ぐるっと周辺を走っていたら、大手門跡の立て札があったよ』と
早速、蝶に別れを告げて、家内と息子の待つ入り口?へと小走りで・・・
《二人が待つ我が家の愛車【タント】です、この後グルリと周って反対側に行きます・・・そこで親切なおばさまに・・・》
この立て札の向かいの家から、おばさまが自転車と共に出てこられたので
城跡に入るにはと聞きますと、もう一度家に入られて、出てこられた手にこのパンフが・・・
おばさまの仰られるには、よく聞きに来られるので・・・このパンフを玄関に置いていると、言っておられた
亀岡市よ このおばさまを見習いなさい・・・こんな人を市長に
中を開けると、亀山城址へ簡単に行ける様な事が・・・どないやね~
もう一度・・・・このルートに挑戦してみようと・・・・・懲りない私です
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