評論家の立花隆さんの≪あの夏の記録≫を読んで・・・・・
私のブログ・・・8月5日付けに、昭和42年製作の日本のいちばん長い日】を
採り上げていて・・・この映画の凄さ、終戦のエピソードを初めて知った経緯を
書いているので冒頭から引き込まれていった・・・この様に書き始めている
~半藤一利さんの 「日本のいちばん長い日」が再映画化されたので試写会に行って来た。
前にこの作品が東宝で映画化されたときも見ており、なかなかの作品だと思った
いきなり「日本のいちばん長い日」が出てきたので興味を持ったのだ
最近この映画がリメイクされた、しかも前回表に出なかった天皇が出てくる
この事でも、大変に話題になった・・・して立花さんの観てきての感想は・・・
~現場の映画製作者たちのほぼ全員が、戦争を知らない世代である事を知り、
大丈夫かいなと思いつつ見た、部分部分で努力の跡は認めるものの、
全体としてイマイチだった。役者にしても役所広司、山崎努、堤真一には
努力賞が与えられるが、本木雅弘の昭和天皇と松坂桃季の青年将校は疑問続出だ。
あの映画の最大のヤマ場である ≪御前会議≫の話に入っていくのだが
私の見た映画では総理大臣の鈴木貫太郎の役を、笠智衆が演じていた、
今回は山崎努が演じているらしい・・・この辺を立花さんは・・・・・
~山崎努は役作りのために、鈴木貫太郎の生家や墓のあたりを歩いたというが、
実は数年前に私も歴史研究目的であのあたりをウロウロした。いまあの辺は
来訪者もほとんど来ない小さなミュージアム(鈴木貫太郎記念館)になっている。
このミュージアムで最大の見ものになっているのが、あの戦争を終わらせた
最後の御前会議をつぶさに描いた白川一郎画伯の絵だ。
あの御前会議は、近代史上、明治維新と同じくらい重要な歴史シーンでありながら、
公式には誰も記録していない、あとで出席者たちの記憶の照合をしたので、
内容的にはほぼ復元されているようだが、画像的には一切記録がない、写真一枚ない。
しかし、あの御前会議の正確な画像記録が絶対にあるべしと考えた白川画伯が
戦後十七年もたってから、宮内庁の協力を得て、現場を精密に記録しなおした。
出席者を一人一人まわって、記憶のつなぎ合わせを丹念に行なった。
あの会議の席上、誰がどのような服を着て、どのようにならんだかをひとつひとつ調べあげた。
その上で三〇〇号の大きな絵に仕上げていった。
少し長かったけど、この白川画伯がこれほどまでにして描いた絵に興味を持ち
改めて・・・・・御前会議の最大級の重要性を今更ながら感じている
まだまだ立花さんの ”あの夏の記録” は続くが、
最後にこの白川一郎画伯の絵を鑑賞して終わりにしたいと思います
《素晴らしいでしょう、本物を記念館に行って観たいものですね、一枚画くのにこれだけのご苦労があったとは》
これが現在の会議場跡で、皇居には三ヶ所の防空壕があった、
その内の一ヶ所で御前会議が開かれた・・・多分上の写真が・・・・・
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