《カタリ・カタリが入っているわがイタリア・1961年》 《最初に買ったヨーロッパのムードです・1959年》
今からちょうど50年前、たしか6月1日?だったと記憶しています
憧れのマントヴァーニーオーケストラを京都会館で聞く事になるのです
当日を迎えるまでにこんな事があったのですが、今から思えば、
何んと云う事もありませが、チケット購入までのいきさつがまるで
昨日の様に懐かしく、甘酸っぱい思い出として心に残っています、
A席が2600円、B席が2200円、C席が1200円だった様に思う
高辻通りの東洞院下がるに会社があり、昼休みに近くの大丸へ
1200円を握って走った、しかしC席はすでに売り切れだった
泣きそうになった、でもB席が数枚残っていた、すぐに戻るから
といって一目散に会社へ戻り、圭ちゃんに事情を言ったら
快く貸してくれて、その足でもう一度大丸へ・・・やっとチケットを手に
なんと前から二列目の真ん中、真ん中は良いが二列目とは、
しかしその結果、二列目が最高の席だったのに気が付きます
いよいよ開演、オーケストラが指揮者無しで《シャルメーヌ》を演奏
なんと!この曲に合わせてマントヴァーニーがにこやかに登場する
そのストリングスの音色たるや、レコードで聞くのと同じあの音色・・
当たり前やろ!と言われるかも知れないけど、その当時、噂では
「あのストリングスの音は、きっとエコーが掛かっている」と言われ
半信半疑で当日を迎えたからです、・・・でも、でも噂は噂であって、
まぎれもなく”カスケーティングストリングス”滝の流れ落ちる様な
マントヴァーニーしか出せない繊細な弦の響き、夢のようでした
二曲目に早くも「カタリ・カタリ」・・・≪まるで50年一日のようです≫
一番聞きたかったこの曲、とても。とても言葉では言い尽くせません
しかも!ただ一度だけの来日、しかも京都での公演に行けたのです
ズービンメーター指揮イスラエルフィルの《シェ-ラザード》と共に
私の心の・・・いや耳の最高の思い出です、このコンサートで二つ
マントヴァーニー自身の音楽に対しての誇りを見せ付けられました
《マントヴァーニーが指揮台から・・・・・振り向いて・・・》 《アルバムのなかでは新しい一枚・・・でも1967年》
一つは、知っている曲が始まると、拍手をします、・・・ところが彼は
左の手で、その拍手を止めるのです、まるで「拍手は曲が終ってから」
と言わんばかりに、当然だと思いました・・・将に英国紳士の気風でしょう
もう一つは、休憩のあと第二部が始まってマントヴァーニーが指揮台に
我々に深くお辞儀をして演奏が始まろうとした時、彼が振り返り指揮棒を
客席に向けたのです、一人のおばさんが遅れて入ってきたのです、
マントヴァーニーはおばさんが席に着くまで指揮棒を指し続けました
おばさんが席に座ると、首をかしげニコッと笑って二部が始まりました
最後の最後まで気を抜かないマントヴァーニーに脱帽でした
それから17年後の1980年に75年の生涯を閉じたのでした
私は16・7才の時から大フアンでLPも少ない小遣いから11枚も買い、
毎日、団地サイズのステレオで【前に開けばターンテーブルが】
聞いておりました、最近はめったにレコードを聞くこともありませんが
久し振りにブログに載せるためジャケットを出しましたので見て下さい
《メロディーの花園はアメリカの曲が・・1964年》 《デッカ専属25周年の記念盤です1966年》
この頃の給料は1万円ぐらいだったと思います・・・でもその頃から
LPレコードは1枚2000円していました・・・今なら3・4万円の感覚です
最後に二列目が何故良かったかを言っておきましょう、・・・・
コンサートが終わりゾロゾロと外に出てきた処で友達に会ったのです
友達曰く、「ストリングスの音はやっぱりレコーディングの時に細工してる」
と言うのです、聞くと二階の一番奥の席やったらしく、あの繊細な音色が
届かなかったのでした、この頃の京都会館は最悪の作りだったから、
二列目だから、生涯心の財産になった、音色が聞けたのでした