《京都文化博物館の新旧の写真・・・旧建物を尊重して建築されました》
黒田清輝展開催中の京都文化博物館に昨夜行って来たお話です
この博物館、4階と3階が特別展示場のメイン会場で、その3階には
フィルムシアター(映写室)が設けられています、友の会の会員だと(年間6000円)
会員証の呈示で毎日でも入れます、前回の「印象派展」で年会費の分
行きました、この特典を僕から聞いてた、友人は即会員になりまして、
今では、映画も楽しんでいます、僕も先日『赤胴鈴之助』を見て(6.18)
ブログにしました、残念ながら赤胴鈴之助はお世辞でも素晴らしい?
とは言えない作品でしたが、昨夜の”次郎長さん”素晴らしい出来でした
長谷川一夫の次郎長はさすが大貫禄でした、大映のオールスター物で
1時間45分があっという間に終わっていました、赤胴の時の”雨”も無く
素晴らしい画面で、ただ音の方がステレオの時代でなかった?ので
特にBGMの音が、ベタッと歪んだ感じの・・・・・でも、あの時代の雰囲気を
画面より音響で味わえた感がありました、俳優も”雷蔵の吉良の仁吉”
”勝新の森の石松”女優陣も山本富士子、京マチ子、若尾文子と豪華で
広沢虎造の名調子が聞こえてきそうな「食いね~食いね~鮨食いね~」
の場面もしっかり入っておりまして、石松の相手を船越栄一郎の親父の
船越栄二が勤めていました、最後の富士川の戦いもバックに富士の姿あり
エキストラも大勢で、さすがラッパの永田雅一全盛時代の大映映画でした
昨年の10月のブログに僕の中学の時(旭が丘中学)大徳寺の境内で
マーロンブランドを見た事を載せましたが、小学生の時は美空ひばりや
嵐寛寿郎、そして今宮神社で、長谷川一夫も見ましたよ、懐かしいですね
今から思えば、大徳寺の周辺に住んでいた事って幸せやったんですね~
水野治夫さんやないですが、「映画って・・・本当にいい物ですね~」
映画の次郎長さんから抜け出して、現実の次郎長さんを少し調べました
まずは清水次郎長の肖像画を見て頂きましょう、映画からはイメージが
長谷川一夫とは・・・いきませんが・・・何と言ってもヤクザの親分ですから
かなりの、強面ですよね、次郎長一家を仕切っていただけの貫禄?ですかね
以前から山岡鉄舟と清水次郎長の事は、少しは知っていましたが、今回
調べて色々と分かりました、少し次郎長親分にお付き合い下さい
時は幕末の慶応3年12月王政復古の大号令が発せられ事実上、倒幕
翌慶応4年8月旧幕府の海軍副総裁、榎本武揚らは品川沖から脱走するが
そのうち咸臨丸は暴風雨により破船して、修理の為清水湊に停泊するものの
新政府海軍に発見され、見張りの為に残っていた船員全員が交戦し、残念ながら
全員死亡すると言う結果に、その後逆賊として駿河湾に放置されていた遺体を、
次郎長が小船を出して収容し、向島の砂浜に埋葬する。
新政府より収容作業を咎められるが、死者に官軍も賊軍無いと突っぱねた。
当時、静岡藩大参事の任にあった旧幕臣の山岡鉄舟は、これを深く感謝
これが機縁となって、次郎長は明治において山岡・榎本と交際したと言う
その後、博徒を止めた次郎長は清水港の発展の為には、茶の販路を
拡大するのが重要である事に着目、蒸気船が入港出来る様に清水の外港を
整備すべしと訴え、自分でも横浜との定期航路船を営業する「静隆社」を設立
広沢虎造の「旅~ゆけばあ~あ・あ駿河の国に~茶の香り・・・」の親分とは
違った意味での実業家やったんですね、お茶の発展にも尽くした親分
清水の次郎長は名実共に東海一の大親分やったんですね~
次回こそ《昔語り》を中心にした黒田清輝展の感想を
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