わが町には江戸時代から焼いていた青磁焼の窯跡があります。
有志の人たちが 青磁焼きを作って まちおこしするんだと
制作していらっしゃいます
年末のイベントで売る商品ができるようにと
エンジン全開の様子
国際交流協会の主催
「中国語で肉まんづくり」に参加
合計5か月間暮らした中国は
やっぱり 気になる国なのです
ついに話せなかった中国語も懐かしく・・・
講師は中国人女性
中国語を交えながら皮づくりが始まる
見事に並んだ肉まんズラリ!!
蒸したてをほおばりながら
参加者たちとの会話が楽しいです
「夫が中国人です。でも私は話せなくて」 とか
「出張で行きました」
「甥の嫁が中国人」
「ホームステイを受け入れました」などなど
むむむ やはり
中国に触れたい人たちだった~
私も久しぶりに中国語のシャワーを浴びて
あ~ やっぱり ワカランわぁ・・・
友人のFさんにいただいた鮎は
天然もの
ご主人が獲ってこられたのを いただいた
「うまく焼くコツはね、塩をたっぷり振るのよ。
塩が魚の水分を取るからね。
こんがり焼き色がつくまで焼いてね」
と よ~く言い聞かせてもらい 焼きました
が・・写真はありません。
焼きたてを大喜びで 食べちゃったから・・・
「ちょっと塩辛いゾ」と言われましたが(汗)
骨も上手に抜いて!
そう、私 初めて骨をきれいに抜きました
おいしいオイシイあゆでございました
ごちそうさま♪(合掌)
ご近所の男性が南アフリカへ旅行してこられた。
今は悠々自適暮らしの初老の方ですが
商社勤めだった40数年前、任地が南アフリカだったそうで
ご長男は彼の地で生まれたんだとか。
この夏 思い立ってご長男一家と共に旅行されたと。
現地で旧知の方はすでに亡くなられていて
その娘さんが歓待して下さったらしい
「アフリカのくるみ」を砂糖を煮てまぶしたもの
ちょっと細長いですねぇ
くるみの味だった(笑)
いつも物静かな方が
40年前に遠い国で暮らしておられたとは知らなかった。
今は便利な時代だから 暮らしやすいところは多いけれど
きっと 大変だったろうと思う
すべての人に ドラマがあるんだなと実感しました
お盆が過ぎ
地域の盆踊り大会も終わりました
朝夕がまたまた涼しくなって
ちょっと名残惜しい気がします
先日 友人の娘さんに浴衣を着せてあげました
人に着せるのは勝手が違うので苦手ですが。
ちゃんと補正してあげられず
帯結びも ああでもない こうでもないと・・
四苦八苦するうち 時間切れとなり
見切り発車となりました
ごめんちゃいネ
それでも 若い人は 華やかで いいわぁー
毎年 超ひかえめに咲きますが
今年 オドロキの立派咲き!
(いつも 「来年は咲くかしらん」と心配してたほど)


ワレモコウ・・・我も紅・・・私だって紅よ!
地味な花が ひっそりと でも「主張してみたいわ」 というところでしょうか
ありがとうございます!
さっそく今朝もって行ったところ 集まり始めておりました。

16日ボランティア活動センターからボランティアメンバーが
清掃や泥かきなどの作業を手伝うために出発するそうです。
「ぼちさん 今日出勤日ですよね?」
「へ? 今日はお休みです~」
「でも シフト表に書いてありますよ」
「ぎょっ」・・・あわてて手帳を取り出すと 確かに出勤日。
始業5分後にもらったTELで・・・その5分後には職場に座ったワタシです。
そんな早業 できたんや~ と 自分に感心。
あ いやいや 反省です

県内の佐用町では豪雨で大きな被害 そして犠牲者。
天災の前に 人は、なす術がありません。
そしてささやかに守ってきたものを みーんな壊されてしまいます。
わが職場でも タオルなどの救援品を受付けることになりました。
さて、お盆は我が家にもご先祖様が帰ってこられます。
仏壇の掃除やお供え物と バタバタしてるヨコで 息子がヒマそうにしてる。
視線を感じたのか「何か手伝おか?」ときた。
で、掃除機をかけてもらうことに。

ふだん 自分の部屋もろくに掃除しないのに
やってくれちゃいました!
いつも 私一人で行事の準備してる感があるので
とっても嬉しかったわぁ~
基本 アテにしないことにしてるけど
ちょっと新鮮だった

ご先祖様!
準備完了ですよ
そして ささやかな日常に 感謝。
かの昔 流行ったということですが・・私は知らない。
若いから ではなくて 田舎すぎたから・・かも。

ふだんカラオケにも行かない私ですが
実に楽しい♪♪
オンチを忘れて 歌う 唄う♪
声を張り上げて 好きな節回しで 気持ちよく♪

知らない歌は ありませんデシタ

ハマりそう
