時折、ブログのアクセス数が減ると自動車ブログと化す(笑)、最近の幸福の科学高知なかまのぶろぐでございますが、幸福の科学や幸福実現党は、事業の発展や政治にも関心のある宗教&政党なので、一応ギリギリのラインで、カテゴリー違いにはなっていないと代表管理人の私は信じます。(爆笑)
で・・・やっとこさ、ここ数日取り組んできた、50年前の傑作国産車、スバル1000の世界に影響について語れます。(爆笑)いやぁ、スバルはメカニカルな説明が多くなり勝ちで、やっとたどり着きました。本日も、文字数制限に注意して、筆を進めて参ります。そう、スバルという会社は、とにかく変わっていまして、(^^: なかなか本論に入れないのですね。
で・・・この傑作車スバル1000にも、モデルが存在すると私は思っております。それはおそらくこれです。

シトロエン2CV
私が思うスバル1000のモデルは、フランスのシトロエン2CV(ドゥシボー)です。
シトロエンもスバル以上に、個性的な作品を作る自動車企業でして、この2CVは、戦後間もないフランスの実用車として、ヒット商品となりました。シトロエン2CVは、空冷水平対向2気筒エンジンを車体の前方に積んで、前輪を駆動するFF車です。
これは当時の世界基準車、空冷RR車フォルクスワーゲンビートルの、真逆の構造だと思えばよろしいかと思います。
シトロエン2CV(左)と フォルクスワーゲンビートル(右)
2CVの前輪ブレーキは、インボードブレーキです。
通常ブレーキは、車輪の中にありますが、インボードブレーキは、車体の中心の方にブレーキを移して、車輪は空っぽです。
(通常のブレーキ 車輪の中にある円盤がブレーキです。)
(スバル1000の、フロントインボードブレーキ 車輪の中は空っぽ)
そして、ともに4輪独立サスペンションなのが、シトロエン2CVと、スバル1000との共通点です。
インボードブレーキの長所は、路面からのショックを軽減し、タイヤを路面に密着させるサスペンションの負担が軽減されるので、乗り心地が良くなり、タイヤの接地力も強くなることです。
また、タイヤの中にブレーキがない分、タイヤとサスペンションをつなぐ、リンクロッドという棒の設定自由度が高まることです。
これで、シトロエンとスバルは、センターピポット方式という、ハンドル操作力の軽減を、インボードブレーキで果たしています。
パワーステアリングという、ハンドル操作力を補助するシステムが一般的でなかった時代では、FF車のハンドルは重いものでしたから、軽いハンドルのスバル1000は、とても商品価値が高かったのです。
(スバル1000の前輪サスペンションと、一般的なサスペンション。タイヤの真ん中で地面を押し付ける仕組み。ハンドルが軽くなる。)
また、タイヤサイズに関係なく、ブレーキのサイズを選択できるので、ブレーキの効きは良いはずです。
高級車やスポーツカーが、大径のタイヤを履いていたのは、このブレーキのサイズを大きくしたかったからでもあります。
とにかくも、作るにも整備するにも手間暇かかるインボードブレーキを採用したのは、国産車では後にも先にも、スバル1000だけです。
シトロエンGSの、巨大なインボードブレーキ
インボードブレーキの欠点は・・・あはは、無限にあります。(爆笑)
まず、コストが高騰します。また、整備性は最悪です。(笑)
通常ですと、タイヤをはずせばブレーキが見えますが、インボードタイプだと、エンジンルームを除き込む必要があります。
また、エンジンルームの奥深くにブレーキがあれば、停車で発生するブレーキの熱が逃げにくいという欠点があります。
2CVは、安価で、農家が農作業に使えて、しかも生卵が割れない乗り心地を・・・ということで、戦後間もなく製造されました。スバル1000の開発時には、2CVはまだ製造されてはいましたが、すでにオールドカーに分類されていました。
しかしエンジンの形式や、快適な乗り心地、そしてFF車にしては、軽いハンドル操作などをモチーフに、開発モデルとして、スバルはシトロエン2CVを選んだと思います
思います・・・と書いたのは、そういったことに触れた文献を、管理人は読んだことがないからです。(爆笑)
ともあれ、オールアルミ製(驚)水冷4気筒水平対向エンジン、FF駆動、4輪独立サスペンション、インボードブレーキのスバル1000は、1966年に発売となりました。
ちょうど折りしも、トヨタからカローラ、日産からサニー、マツダからファミリアという、小型車戦国時代が勃発し、日本でのスバル1000は、まあまあの販売実績でしかなかったと思います。
そして何より、凝った作りで製造コストの高いスバル1000は、恐らく儲からなかっただろうと推測します。
しかしスバル1000の本当の真価は、世界の自動車産業に与えた影響の方なのです。
スバル1000を、世界がまねたからです。
しかも、戦前から続く、老舗自動車メーカーがまねたのです。
(アルファロメオ アルファスッド 1971年発売開始 イタリア)
アルファロメオは、戦前発祥の歴史あるイタリアの自動車メーカーです。
当時のアルファロメオは、国営企業となっており、量販できる小型車の開発のモデルとしたのが、スバル1000だったのです。
それはアルファスッド販売当時から言われていたことですが、もちろん開発者は否定しています。(笑)
しかし、エンジンレイアウトや、インボードブレーキなどの構造図を見れば、スバル1000でと同じであることは、見分けがつく者からすれば、一目瞭然でございます。(爆笑)
ただ前輪サスペンションが、ハンドル操作軽減目的のセンターピポット方式ではないことと、最近までアルファロメオが、独立後輪サスペンションを使わなかったことから、後輪は固定機軸方式です。
伝統的にアルファロメオは、「後輪サスペンションは、固定式であるべき」というポリシーだったのです。
スバルが参考にしたと思われる、本家のシトロエンですが、この当時シトロエンは迷っていました。
当時のシトロエンには、超~大衆車と、超~高級車しかなかったからです。(爆笑)
先ほどの2CVという戦後直後の大衆車と、DSという高級車、そしてSMという高性能クルージングカーです。
シトロエンDSとSM
最も売れ行きが期待できる、中間車種の開発に、フランスの老舗シトロエンは長年苦慮してきました。
2CVもDSも自動車史に残る名車なのですが、どちらも戦後すぐの商品で、かなり販売台数が落ち込んでおりましたし、SMも名車中の名車ですけれども、到底売れ筋商品ではありません。
そしてシトロエンは、古い2CVの部品を元に、大きく現代的な2CVを模索していたのですが、どれもこれも、陳腐なデザインばかりで売れません。(爆笑)
シトロエン アミ & ディアーヌ 骨組みは2CVと同じ
自動車のデザインというのは、シャーシ(基本骨格)でほぼ決まってしまいます。それは、人間でも同じですよね。(笑)
ですから、古くてユニークすぎる2CVのシャーシを使えば、どれもこれも、上級車には似つかわしくない、古くてユニークすぎるスタイルになってしまうのです。(爆笑)
まぁ、2CVの構造があまりにも個性的でしたので、開発投資を回収するためには、できるだけ共通の部品を使いたいのは理解しますが、超大衆車と超高級車だけでのシトロエンは、長年売れ筋の中間車種のエンジンや、搭載方法や車体寸法などで迷い、会社の経営すら危うい状況でした。
そこに日本のスバルから、スバル1000が発表されたのです。それはズバリ、自前の2CVの現代版であり、高性能版だったのです。
シトロエンは弟子とも言えるスバル1000によって、老舗の自信を回復し、行くべき方向性を見出したはずです。
そうして発売されたGSは、空冷水平対抗4気筒、4輪独立サスペンション、インボードディスクブレーキで、センターピポット方式でした。
シトロエンGSの空冷4気筒ボクサーエンジンは、空冷2気筒だった2CVのエンジンを2機繋いで、改良したものと言われています。
イメージ的には、2CVの大型化に失敗したシトロエンが、上級車DSの小型版を作ったとも言えますが、DSやSMとは、搭載するエンジンの形式も置き方も違っています。シトロエンDSのエンジン搭載方法は、フロントミッドシップによる、とても珍しいFFなのですね。
重量配分には優れますが、前輪に荷重がかかりにくく、エンジンルームも大きくなり、小型車には向きません。
シトロエンDS(模型)の、とても珍しいFFミッドシップ構造 エンジンルームが広大になるので小型化できない。
ヒット作GSは、2CVの当時における現代版であり、その決断は日本のスバル1000の、商品としての出来の良さから来ているのです。
以前書いた、空冷RRのVWビートルから、ゴルフらのFFの転進も、スバル360からスバル1000への流れの延長線上にあることは間違いありません。
スバル1000は、スバル360の完全否定版ですが、それはとりもなおさず、VWビートルの完全否定版でもあったからです。
長年世界の基軸車であったビートルは、日本のスバル1000によって、商品としての歴史的使命を終えさせられたのです。
VWビートルとゴルフ(初代)、製品コンセプトは真逆です。
また、スタイルだけで言えば、1970年フィアットリトモが影響下にあると思います。
(フィアット リトモ 1978年発売 イタリア)
これらは、すべて世界的ヒット作となりました。
長くなりましたが、スバル1000は、1960年代後半から70年代半ばまで、世界の自動車産業に、絶大な影響を与えたのです。
日本は、実に奥深い国です。日本人は、もっと大きな顔をして良いです。(笑)
スバル1000は、50年前の世界の自動車産業のお手本でした。しかしこれはスバルに限ったことではありません。
ハイブリッドのトヨタ、排気ガス清浄技術ではホンダや日産、FF技術の普及には三菱、そして小さな車作りにはダイハツやスズキが、それぞれの分野で、日本の自動車産業は世界のお手本だったし、今でもそうなのです。
また自動車産業に限らず、世界で初めて宗教紛争を克服したのも日本ですし、人種差別がいけないと訴えたのも日本です。そして、国土拡張なき大発展も、日本が初めて成しました。
これらは、今後の世界の恒常的な平和と、自由な社会の構築には、絶対不可欠な価値観です。
世界が我利我欲にまみれ、混迷したときこそ、日本は世界に手本を示す使命があるのではないかと、スバル1000の物語から、私はいつも連想してしまうのです。
(ばく)
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